八戸学院光星 3年ぶり11度目の甲子園、エースの洗平兄・歩人が弟・比呂のつくったピンチ救った

[ 2022年7月23日 04:00 ]

第104回全国高校野球選手権青森大会決勝   八戸学院光星6ー5八戸工大一 ( 2022年7月22日    弘前市運動公園 )

<八戸工大一・八戸学院光星>3年ぶり11度目の優勝を決め、喜ぶ八戸学院光星ナイン(撮影・藤山 由理)
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 第104回全国高校野球選手権大会(8月6日から17日間、甲子園)の出場を懸けた地方大会は22日、各地で79試合が行われた。青森大会決勝では八戸学院光星のエース右腕、洗平歩人(あらいだい・あると=3年)が1点差に迫られなお1死二塁の9回に救援。打者2人を封じて逃げ切り、同校OBで中日でプレーした父・竜也さん(43)が届かなかった甲子園出場を決めた。3年ぶり11度目の夏の甲子園は、青森山田に並び県勢最多となった。

 洗平歩人の背中で、父と同じ八戸学院光星のエースナンバー「1」が輝いた。この夏が「最後のチャンスなんだ」と胸に刻んで、絶体絶命のマウンドに向かった。

 6―3で迎えた9回、八戸工大一の猛反撃を受けた。4番手の宇田が2本の二塁打を浴び、2点差。ここで、歩人の弟・洗平比呂(1年)が5番手で登板する。だが、相手の勢いは止められず、初球を右中間へ二塁打。1点差に迫られた。

 東北福祉大から00年ドラフトで中日を逆指名して2位指名を受けた父・竜也さん。高1からエースを張りながら、3年連続で夏は県決勝で敗れた。よぎる悪夢。だが、兄は強かった。9回1死二塁。「スライダーだけでも通用すると自信を持って投げた」と横手からの118キロスライダーで空振り三振を奪い、最後の打者も117キロスライダーで中飛に仕留めた。

 父も息子も、春も含めて一度も甲子園を経験していなかった。歩人は「お父さんも3年連続やられた。甲子園は遠いところと感じていた。その夢の舞台が今、目の前にある」と拳を強く握った。

 中学では千葉の佐倉リトルシニアで活躍。全国の有名校から声をかけられたが、父と同じユニホームを選んだ。青森出身の父の実家に帰省するたび、母校へのあいさつに連れられて行った。小学生の歩人は「光星に入るか?」と聞かれると、「入る!」と即答。歩人はその約束を覚えていた。

 竜也さんはスタンドから「弟を助けたのは良かった。強豪校ですから大丈夫と思っていた」と笑顔で見守った。主将である歩人に最後を託した仲井宗基監督も「父親の3年連続準Vは相当重圧だったと思う」と気遣った。3年ぶり、青森山田の青森県勢最多11度に並ぶ夏の甲子園。主将は「負けないチームをつくりたい」と全国へ夢をつないだ。(君島 圭介)

 ◇洗平 歩人(あらいだい・あると)2004年(平16)7月28日生まれ、千葉県出身の17歳。佐倉リトルシニアでは中1でジャイアンツカップ優勝、中3でリトルシニア全国選抜大会優勝。小学生時代から元中日投手の竜也さんの指導を受ける。チームメートで同じ投手の比呂(1年)は2歳違いの弟。1メートル80、72キロ。右投げ左打ち。

 ▼八戸学院光星・洗平比呂(1年) 父の母校であり、兄が入ったので一緒に甲子園を目指そうと思った。今大会は力になれなかったのが残念。

 ▼八戸工大一・砂頼人主将(3年) 終盤は攻撃的にいけたが、序盤にそれができなかった。

 ▼八戸工大一・長谷川菊雄監督 投手陣は頑張って低めに集めたが、ちょっと甘い球を持っていかれた。

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2022年7月23日のニュース