オールブラックスへの憧れがリーチ・マイケルを大きく育てた 日本代表元主将 母国と3度目の対戦へ

[ 2022年10月29日 06:00 ]

ラグビーリポビタンDチャレンジカップ2022   日本―ニュージーランド ( 2022年10月29日    東京・国立競技場 )

ボールを使ったトレーニングを行うリーチ
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 ラグビー日本代表はきょう29日、通算7度目のオールブラックス戦を迎える。この一戦に誰よりも特別な思いを込めて臨むのが、ニュージーランド出身のリーチ・マイケル(34=BL東京)だ。28日、空っぽのスタジアムで前日練習を終えた後、「ワクワクしている。1週間前からずっとワクワクして気持ちが上がって、寝るのも結構大変になって」と言った。W杯で対戦した11年、主将を務めた18年に続く3度目の先発は、日本代表では桜庭吉彦に並ぶ最多記録の快挙となる。

 5歳でラグビーを始めた時から、オールブラックスは夢であり憧れだった。最初のアイドルは初めて日本代表に招集された08年当時のヘッドコーチでもあったジョン・カーワン。次は95年W杯の日本戦で6トライを量産したマーク・エリス。そして同大会で世界に衝撃を与えたジョナ・ロムー。高校以降は一貫してFW第3列が持ち場だが、少年時代は華があるトライゲッターのウイング選手ばかりに憧れた。

 ただ、シャイで口数が決して多くない少年時代は、憧れを口にすることがはばかられた。本当の夢や憧れは心の中に大事にしまい、周りに吹聴した将来の夢は「ドクター」。こちらも決して簡単になれる職業ではないが、当時はガリガリだったラグビー少年は、本当の夢を嘲笑されるのが怖くて隠し通した。

 高校で札幌山の手高に留学。徐々に頭角を現し、各世代代表の階段を上って日本代表にたどり着いた後も、オールブラックスが基準であり続けた。例えば15~17年にスーパーラグビーのチーフスでプレーした時期。味方と相手のオールブラックスを指標に、追いつけ追い越せで主力に成長した。

 札幌山の手高時代には、とあるパンツを手に入れた。後に東芝で同僚となるスティーブン・ベイツのもので、サイズは6L。最初は両足が片足分に入ってしまうほどぶかぶか。それでも毎日の努力が血肉となり、社会人となった後にサイズアウトした。目標を定め、こつこつと、黙々と努力を積み重ねる。その信条があるからこそ、34歳となった今が絶頂期と認める声も少なくない。

 少年時代、地元クライストチャーチで行われた南アフリカ戦後。意を決して初めて頼んだサインを断ったのも、とあるオールブラックスの選手だった。「大ショックだった。そこからは怖くなってサインをもらいにいけなかった」。だからこそ、自分が日本を代表するプレーヤーとなった後は、できるだけサインに応じるようにしている。「特に子供は断らない」。反面教師の教えもまた、自分の血肉にしている。

 日本代表としてキャリアを積み、数字上の可能性はゼロではないものの、現実的にオールブラックスにはなれないことが確実となった今、憧れを倒すことがリーチの溜飲を下げる数少ない機会だ。「勝つ気でいる。勝ってみんなで喜びたい」。かつてのシャイボーイははっきり公言し、6万5000人のファンと勝ちどきを上げる瞬間を心待ちにしている。

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