君原健二氏、盟友・円谷の魂を背負って挑んだメキシコ五輪

[ 2019年4月3日 10:00 ]

THE YELL レジェンドの言葉

64年4月の毎日マラソン30キロ付近で競り合う円谷(左)と君原
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 昭和の時代、日本のマラソンは強かった。NHK大河ドラマ「いだてん」で話題の金栗四三が礎を築き、64年東京五輪で円谷幸吉が初めて銅メダルを獲得。68年メキシコ五輪では君原健二さん(78)が銀メダルに輝いた。快挙から半世紀が過ぎた今でも、君原さんは市民レースで元気に走り続けている。昭和を代表するレジェンドに、当時の思い出や後輩たちへの期待をうかがった。 (編集委員・藤山 健二)

 64年10月22日のスポニチは「円谷、気迫で三位 28年ぶり涙で仰ぐ日章旗」の見出しで東京五輪男子マラソンの結果を伝えている。優勝は2時間12分11秒のアベベ(エチオピア)で、ローマ大会に続く2連覇だった。

 レース後、退部届を出した君原さんは66年に結婚。メキシコ五輪を目指して再起した。対照的に金メダル獲りを宣言していた円谷は腰痛が悪化して思うように走れなくなり、私生活でも五輪を理由に交際していた女性と無理やり別れさせられるなど、心身ともにつらい日々が続いた。そして68年1月9日、「父上様、母上様。幸吉は、もう疲れ切ってしまって走れません」の遺書を残して自らの命を絶った。

 「円谷さんと私は同い年で、訃報を聞いた時は本当にショックでした。私は、そんなに競技にこだわらなくてもいいじゃないかと彼に直接言ってやれる数少ない一人だったと思いますが、声を掛けることはできませんでした。それが今でも残念でなりません…」という君原さんは今でも、円谷の故郷・福島県須賀川市で毎年10月に行われる「円谷幸吉メモリアルマラソン」に欠かさず参加している。

○…「1秒でもタイムを縮めるために、できることは何でもやった」という君原さんは、メキシコでは体を軽くするために時計やサングラス、さらには靴下まで脱いで走ったという。ゴール直前に3位の選手に追い上げられたが「東京で円谷さんは後ろを振り返るなという父の教えを守って土壇場で抜かれた。私があの時後ろを振り向いて相手を確認できたのは、円谷さんの支援があったからかもしれません」と天国の友に感謝している。

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