八村塁の3年間 彼がたどってきた「でこぼこ」の道

[ 2019年4月3日 13:35 ]

ゴンザガ大をけん引した八村塁(AP)
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 【高柳昌弥のスポーツ・イン・USA】カナダ出身のラッパー、ドレイク(32)はトロントを本拠にしているNBAラプターズの熱烈なファン。何度も試合中の画面に映ったりするのでどんな曲を歌っているのかをチェックしたことがある。私にはラップのことはよくわからないので音楽的なことは何ひとつ言えないが、発音はきれいな方ではないだろうか。俳優でもあるのでミュージック・ビデオにはドラマ性もあってけっこう楽しめる。ただ歌詞の意味を理解しようとすると骨が折れる。

 ドレイクでさえついていくのが大変だったので「21サヴェージ」にいたっては、それがソロ・アーティストであることさえ知らなかった。英ロンドン出身だが両親はドミニカ共和国とハイチ系。本名がシャヤ・ビン・アブラハム・ジョセフと長めなところに複雑な人生を感じさせる。

 「HOW MUCH」と「HOW MANY」のフレーズが延々と登場する「A LOT]という曲には、人種偏見に対する怒りや憤り、生きていくことの難しさがにじみ出ている。アップテンポではなくメローなナンバーが多いのも特徴なのだろうか…。
 
 スポーツ専門局のESPNが運営しているスポーツとポップ・カルチャーの公式サイト「UNDEFEATED(不敗という意味)」をのぞいていたら、全米大学男子バスケットボールで活躍している八村塁(3年=ゴンザガ大)の記事に突き当たった。その記事の中でゴンザガ大で八村のルームメートでもあるガードのジョシュ・パーキンス(4年)の談話が出てくるのだが、その同僚がこう語っていたのである。

 「彼(八村)はラップで英語を学んでいたんだ。ドレイクや21サヴェージをよく聴いていたね。しかも意味をちゃんと理解していた。今や僕より英語がうまいよ」

 もちろん米コロラド州デンバー出身で、ネイティブ・スピーカーのパーキンスより英語の能力があるわけはないのだが、大学の授業以外でコミュニケーションに必要な“ツール”を広げていったあたりに、八村の努力と工夫が見え隠れしている。

 ジョージ・ワシントン大を4年かけて卒業した渡辺雄太(現NBAグリズリーズ)も会話能力の取得までには苦労を重ねているが、それはゴンザガ大の門をたたいた八村とて同じだったようだ。

 ゴンザガ大は米国以外の国からの選手の入学に積極的な大学のひとつだが、チームを率いるマーク・ヒュー監督(56)にとって、英語をまったく話せなかった選手との“遭遇”は初めてだったと言う。同監督は八村が1年生だったときスタッフに対して「いいか、彼は私たちが言ったことの10%しか理解できていない。だから要点は何度も繰り返して伝えるんだ」と指示。しかしその比率はやがて50~60%に増え、今季はついにほぼ100%となった。

 「決して舗装された道ではなかったはずだが、そこを彼は乗り切ってきた」と指揮官。バスケットボールだけでなく、英語の能力を身につけたことは、おそらく彼の人生にとって大きなプラスになることは間違いないだろう。

 父がナイジェリアなど4カ国と接している西アフリカのベナン出身で母は日本人。米国のメディアでもその「BIRACIAL(バイレイシャル=二つの人種)」の部分を何度も取り上げてきた。しかしまもなくそんなストーリーも目立たなくなる日がやってくる。

 日本選手初のオール・アメリカ・ファーストチームに選出されたゴンザガ大のフォワードを見ようと、3月2日のセントメリーズ大戦にはNBAニックス、ペイサーズ、ペリカンズなどのGMが試合会場に姿を見せている。

 米国の高校でプレーする選手は約55万人。その中の1%にすぎない5500人しか、NCAAの1部校には入学できないのだが、オール・アメリカに選ばれるのはさらにその5500人のエリートのうちの5人だけ。何気なく私たちはこの事実を伝えているが、おそらくこの先100年が経過しても、未来のバスケ担当の記者たちに「日本選手2人目のオール・アメリカが誕生」という原稿を書く日が来るとは思えない。

 八村はアーリー・エントリーを申請してNBAドラフトを待つことになるはず。ESPNでは1巡目の全体14番目という指名順を予想しているが、遅くても20番台でその名前がコールされるはずだ。

 日本選手がNBAドラフトで指名されたのは過去1回のみ。日本代表のセンターだった岡山恭崇氏(当時住友金属)が10巡目まであった1981年のドラフトで8巡目、全体171番目でウォリアーズに指名されて以来、誰1人として名前をコールされたことはない。

 NBAのドラフトは以後、徐々に指名数を減らし、1989年からは2巡目で終了。バスケットボールがグローバル化したこともあって今やドラフト候補は世界中に存在する時代だが、6月20日に行われるドラフトで名前を呼ばれるのはたった60人しかいないのだ。

 その“選抜試験”で1巡目に選ばれることがどれほど凄いことなのかを理解するには、NBAの労使協約で定められている「ルーキー・スケール(標準額)」と呼ばれる新人選手のサラリーを見たほうがいいかもしれない。

 つまり指名順によって新人選手の年俸は決まってしまうのだが、指名した球団は標準額のプラス、マイナス20%の幅で契約が可能。もっともそのほとんどで20%増しの契約となるので、リーグ全体の平均年俸が北米4大スポーツの中でトップの640万ドル(約7億1000万円)に達しているNBAの“バブル”はまだまだ続く傾向にある。

 ではESPNの予想する1巡目14番目はどうかというと、初年度の標準額は287万8400ドル。最大限度額は2割増しで345万4080ドルということになり、日本円に換算すると(1ドル=111円)3億8340万円という額がはじきだされる。これは日本選手のプロ転向初年度の年俸としては史上最高額。プロ野球界と比べてもまさにケタ違いの数字だ。月額に換算すると“初任給”は3195万円。そんな月給をもらえる新入社員の方はどこかにいるだろうか?

 その超エリートに八村は近づきつつある。もちろんお金だけがすべての世界ではないが、こんな出来事はオール・アメリカ選出同様、しばらく日本のスポーツ界ではお目にかかれないレアケースになると思う。

 NCAAトーナメントでは西部地区決勝で敗れてファイナル4には進めなかったが、彼が何かを持っていることに変わりはない。現在、全体14番目の指名権を持っているのは、スパーズからその権利を譲渡されたセルティクス。指名順はドラフト直前に各所でトレードされたりするので、どのチームから声がかかるのかはわからないが、NBAファイナル最多の17回の優勝を誇る東部の名門チームのユニフォームを身に着ける可能性もある。

 「何度でも膝を曲げ、何度でもジャンプするんだ」。もしドレイクの「NICE OF WHAT」を聴いていたのなら、この部分だけは際立って反応したかもしれない。本当にここまでよく頑張ったと思う。私が心の底から評価したいのは、タイトルとか成績とかお金ではなく、「自分を変えなくては」と思い立ってから、自ら「でこぼこ」の道に足を踏み入れたその勇気に対してである。

 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には8年連続で出場。フルマラソンの自己ベストは4時間16分。今年の北九州マラソンは4時間47分で完走。

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