DJ KOO 口角アゲアゲでパリピ寿命延ばそうぜ!楽しむことが一番!!大病きっかけに考え方一変

[ 2023年12月17日 05:20 ]

アゲアゲな表情を見せるDJ KOO(撮影・尾崎 有希)

 【俺の顔】DJ KOO(62)はその場にいるだけで空間を明るくするオーラを放つ。ダンス&ボーカルグループ「TRF」のリーダーで、バラエティー番組でも大活躍中。実は6年前に患った大病を機に人生の考え方が一変していた。(小田切 葉月)

 DJブースを備えたスタジオでの取材。テーブル前での写真撮影を終えると、その場で華麗なプレーを披露した。「mihimaru GT」のヒット曲「気分上々↑↑」で場を温めると、「YOASOBI」の「アイドル」を流す。思わず歓声を上げる記者を前に、最後は「TM NETWORK」の「Get Wild」だ。「こうやってね、お客さんに体中で音を浴びてもらうの。最高でしょ?」とニヤリ。上がった口角の隙間から、白い歯がのぞいた。

 「僕にとってメーク」と話す、ド派手なサングラスとキャップを人前で外すことはほとんどない。感情を読み取ることができるのは口元だけ。明るいキャラクターが定着しているが「根は無口で人見知り」。口元に常にほほ笑みを浮かべるようになったのは、2017年に患った大病がきっかけだった。

 テレビ番組の企画で人間ドックを受け、脳の動脈の一部がこぶのように膨らむ「脳動脈瘤(りゅう)」が左目の後ろに見つかった。大きさは直径9・8ミリ。手術になるとされる約2・4ミリの4倍に当たる大きさで「視神経も圧迫されている状態だった」と振り返る。失明の危険や手術後の後遺症の可能性もあった。「1週間後には、自分の命がなくなっているかもしれない」。その恐怖が心をむしばんだ。

 家族とは「何があっても、これからの人生前を向こう」と約束。頭部を切って頭蓋骨を削り、耳の後ろを通って首も半分切開。約6時間半の大手術だった。「おかげさまで後遺症もなく、手術は成功。この“いただいた命”を、改めて大切にしたいと思った」と話す。仕事への向き合い方も変化した。

 専用の機材で曲と曲をつなぎ合わせ、音楽で盛り上げるDJ。専門学生時代に初めて訪れたディスコで、たった1人が多くの人を踊らせている姿を見て感動。18歳の時に上野のパブで見習いDJになった。

 モットーにしてきたのは「イケイケで格好いいDJ」。自分のノリで、自分が良いと思う音楽で観客を盛り上げてきた。TRFのリーダーとして一時代を築いた自負もあった。だが生死の境をさまよったことで「第二の人生が始まった気がした」。人と比較することよりも楽しむことが重要になった。「みんなを元気にするDJを目指してます」と力を込める。

 現在はオファーがあれば、若いアーティストとのコラボはもちろん、ゲームやアニメのイベントに出演するなど、多方面での活躍を見せる。21年には日本盆踊り協会の特別芸術顧問に就任。盆踊りとディスコを融合させた「BON DANCE」を手掛けた。目指すのは、誰もが楽しめる空間をつくり出すこと。「お客さんがはしゃぎながら笑っているのを見て、僕もうれしくなる。そうすると、自然と自分の笑顔も増えてきました」

 2020年にDJ活動40周年を迎え、還暦を過ぎてもなお、パワフルに第一線を駆け抜ける。「僕を見た時に“DJ KOOが頑張ってるなら、自分も”と感じてもらえる存在になりたい。みんなアゲアゲで健康に、パリピ寿命を延ばしていこうぜ!」。決意と覚悟が、口元の笑いじわに深く刻まれていた。

 ≪武道館単独ライブへ気合≫1993年にデビューしたTRFの30周年を締めくくる日本武道館公演が、来年2月18日に行われる。武道館での単独ライブは99年8月以来、約25年ぶり。メンバーの脱退や加入なく、オリジナルメンバーで節目を迎える。「今や還暦超えが2人もいるグループになった。ここまで来るなんて、思ってもなかったね」とうなずく。「ぜひファンの皆さんと盛り上がりたい!」と熱く語った。

 ◇DJ KOO(ディージェイ・コー)1961年(昭36)8月8日生まれ、東京都出身の62歳。実家はスナックで、店ではいつも音楽が流れていたことから音楽に興味を持った。92年に小室哲哉がプロデュースするTRFに参加。「EZ DO DANCE」や「survival dAnce~no no cry more~」など数々のヒット曲を出した。好きなアーティストは沢田研二。

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