とよた真帆 昨年他界した夫・青山真治さんの最期を明かす 手を「握ってうなずいて。アイコンタクトして」

[ 2023年4月10日 14:40 ]

とよた真帆
Photo By スポニチ

 女優のとよた真帆(55)が10日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)にゲスト出演。昨年3月に頸部(けいぶ)食道がんのため他界した夫で映画監督の青山真治さん(享年57)の最期について語った。

 司会の黒柳徹子から「去年の3月にご主人がお亡くなりになって。おいくつでらしたの」と尋ねられると、とよたは「57歳で。若かったですね」と答えた。

 黒柳が「ご主人は1年間食道がんで闘病なさっていて。この2年間は大変だった」と話を振ると、とよたは「そうですね。闘病の時が一番つらかったかもしれないですね。本人もつらいでしょうけれども、支える身としては、どういう顔をして闘病を支えたらいいのかっていうのをずっと模索しながら」と回顧。「で、私が選択したのはなるべく普通に。ポーカーフェースって言ったらあれですけど、治るのを大前提としてるからこそ、普通の態度であるっていうことを、心がけて暮らしてましたので。仕事も前向きにやって、つらい顔を見せずっていうのところが、時々つらい時間もありましたね」と続けた。

 がんは検診で見つかったとし、「分かってすぐ、ステージとしても随分いってるステージだったんですけど、がんがちょっと大きかったものですから、抗がん剤で小さくして、のどの所にあるので、声を取らなくちゃいけないというような話だったので、まあ監督としてそれはちょっと。“用意、スタート!”が言いたいし、歌も好きだったということで。まずは小さくしてそこの所だけ取れたらということで、抗がん剤治療、放射線でやったんです」と説明。

 「そしたら最初はラッキーなことに小さくなって。じゃあその部分だけ取りましょうって手術したんです。そしたら奇麗に取れましたっていうことで、ほっと一安心で、それが12月でした」としたものの、「それが1カ月もたたないうちに、またのどが調子が悪いっていうんで行ったら、先生いわく“がんが暴れる”って言い方をなさって。もうその後ブワーっと広がっちゃったんです」と振り返った。「そこの部分はなかったはずで、他は大丈夫だったのに、もう胃まで到達するように細くがんができてるって言われてしまって。まれにそういうがんがあると言うことで」と淡々と話した。

 青山さんは8年前にも大病を患っていたとし、「意外と病気がちな夫と言いますか、8年前は心臓だったんですね。心臓に送り出すポンプがちょっとおかしくなって、心不全になるんですかね、それを起こして、40日入院したんです。でも30日集中治療室だったんです」と回顧した。「その時も“この病院で一番悪いですよ”なんていうことを言われてハラハラした時間を過ごして。決まっていたお仕事とかもあったので、その方に連絡したり、コントロールとかしたりして。それを乗り越えて。真面目になってお酒もやめて過ごしていたのに。けろっと飲み始めるとか。言うことを聞いてくれない監督でした」と話した。

 がんの闘病では、「最初は余命が1年って言われたのが、また次が数カ月になりっていう感じで」。宣告を受けたことで「いろんな予定というか、心構えというか、そういうことができたし」としながらも、「ただ夫はあきらめずに、最後までずっと良くなることを信じて」と明かした。

 青山さんはつらさを見せることはなかったとし、「笑顔とか冗談とか凄くたっぷりな人だったんですけど、どんどん笑顔とかユーモアとか冗談が少なくなっていって。ただ痛いとかつらいとかは一言も言わなかったですね。それは本当に助かったと言いますか、凄くそれは監督の愛情かなって思います」としみじみと話した。

 亡くなる前には手を握りあったという。「最後に“急変した”って病院から連絡をもらって、駆け付けたら、自分でお手洗いからベッドに戻る、それぐらい元気があったんですね。ただもう息が荒くて、言葉は出ない。でもうなずいて、で、そのまま寝て。(手を)握ってもうなずいて。目でアイコンタクトしてって」と説明。「で、すぐ強いお薬を打ってもらって。でそのまま眠っていくっていう感じですね。それから半日ぐらい病室で看病と言いますか。見守っていたって感じです」と語った。そのまま亡くなったのかと問われると、静かにうなずいてみせた。

 その後、以前にとよたが番組に出演した際に青山さんから寄せられたメッセージを黒柳が再び読み上げると、とよたは涙を流していた。

 

続きを表示

この記事のフォト

2023年4月10日のニュース