【日本シリーズ戦記 1992年「西武―ヤクルト」】セパ伝説の名捕手“狸同士の化かし合い”

[ 2022年10月21日 17:40 ]

1992年。捕手出身の監督対決となった日本シリーズ前に握手しながら記念撮影。場慣れしている西武・森監督(左)とVサインでおどけるヤクルト・野村監督
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 「狐と狸の化かし合い」ではなく、その容貌から「狸同士の化かし合い」と呼ばれた日本シリーズがあった。1992年の「ヤクルトスワローズVS西武ライオンズ」。14年ぶりセ・リーグ覇者となったヤクルトは野村克也監督。3年連続リーグ優勝を果たした西武は森祇晶監督。昭和の時代、セパの双璧と言われた名捕手の監督対決は壮絶な戦いとなった。一瞬の隙も見逃さない緊張の戦いは7試合中4試合が延長戦という、まさに空前絶後の大接戦。3勝3敗で迎えた第7戦は西武の沢村賞投手・石井丈裕とヤクルトのエース岡林洋一の投げ合い。終盤の7回、石井がプロ野球選手として生涯唯一放った1本のヒットがシリーズの流れを大きく変えた。現在、埼玉西武ライオンズアカデミーコーチである石井丈裕氏の証言を交えシリーズの深層に迫る。(役職は当時、敬称略)

~王者・西武の命運託された沢村賞男・石井丈裕~

 石井丈裕氏は30年前のシリーズの死闘を鮮明に記憶している。 
 「あれだけ、サヨナラや満塁ホームランが出て、そういう派手な中で投手戦を投げ切れたというのはありがたいことですし、忘れられない。盆と正月だけじゃなくていいものが全てきちゃったみたいで。そこで投げさせてもらって幸せでした」

 1992年、西武は2位に4・5ゲーム差でリーグ3連覇を決めた。石井はローテーションの主軸として活躍。前年の7勝から15勝へ。勝率のタイトルを獲得するなど大ブレークした。プロ4年目だったが日本シリーズ先発の経験はなかった。他球団なら文句無しのシリーズ開幕投手だが、この年の西武は郭泰源14勝、渡辺久信12勝、工藤公康11勝。3投手ともシリーズ経験は豊富。「シーズンで先発できてもシリーズで出来ないのが当時の西武。とにかく日本シリーズで先発できるのがうれしくて、第何戦でも関係なかった」9月30日に優勝を決めた西武は森監督の号令で2日後の10月2日からV争いを演じていたヤクルトと阪神の偵察を開始。石井は同7日、伊東勤らとともに神宮でのヤクルト―阪神戦を視察した。翌8日からシリーズ練習がスタート。ヤクルトの優勝が決まると首脳陣から第3戦の先発を伝えられた。西武のシリーズローテーションは第1戦=渡辺久、第2戦=郭、第3戦=石井、第4戦=渡辺智男、第5戦=渡辺久、第6戦=郭、第7戦=石井。左のエース工藤は左脚ふくらはぎを痛め、当初ローテーションからは外れていた。後に森監督はメディアの取材に「第7戦から逆算して石井を3つめにもってきた」と語っている。常に最悪を想定する森野球。最終戦にもつれこんだときの切り札が石井だった。

~早実で荒木大輔の控え 10年後に実現した大舞台での再会~

 石井にはヤクルトとのシリーズに特別な思いがあった。荒木大輔との大舞台での再会である。石井は東京・早稲田実業で荒木の同級生。82年春・夏の甲子園に荒木の控え投手としてベンチ入りしている。春は出場機会がなかったが、夏は1回戦の宇治高戦で荒木をリリーフ。準々決勝の池田戦でも荒木の後に登板するが、水野雄仁に満塁弾を浴びている。石井は法大―プリンスホテルへ進み、荒木はドラフト1位でヤクルト入り。89年に石井もプロのユニホームを着ることになるが、荒木は88年にひじ痛を発症。同年8月トミー・ジョン手術を受ける。その後も症状は上向かず1軍への道は遠かった。荒木が1軍復活登板したのは日本シリーズの約2カ月前、石井が完封で14勝目を挙げ、MVP最有力へ躍り出た翌日の9月24日広島戦。優勝争いのまっただ中の10月3日1611日ぶりの勝利を挙げている。

 「復活したと聞いて、思わず電話をしちゃった。急に知ったんでいても立ってもいられず、家に。早実時代の住所録とか引っ繰りかえして電話したんです」

 日本シリーズでの再会。荒木は第2戦先発で直接対決はかなわなかったが「復活は励みになった。大輔がいいピッチングをした。それを間近で見れたし、やりがいがあった。オレも頑張らなければと思った」。

~開幕戦 杉浦のサヨナラ満塁弾で激闘が始まった~

 10月18日午後零時33分。神宮球場で「知将対決」の火ぶたが切られた。西武・渡辺久とヤクルト・岡林の先発。1点を追う9回1死から西武は石毛宏典の犠飛で同点。試合は延長にもつれこんだ。盤石の救援陣を持つ森監督は渡辺久から潮崎哲也、鹿取義隆と継投。一方のヤクルトは岡林が投げ続けていた。救援陣への信頼度が低い野村監督は動かなかった。延長12回1死満塁で代打・杉浦亨が右翼へサヨナラグランドスラムをたたき込む。ヤクルト先勝。この一撃がシリーズをもつれさせ「2匹の狸」をより慎重にさせた。

 第2戦は荒木と郭。6回清原和博の2ランで1勝1敗とした。第3戦前日の10月20日、沢村賞選考委員会が開かれ、石井が選出された。明けた21日、西武球場に雨が降っていた。順延。石井の心中は穏やかではなかった。

 「中止はつらかった。先発の前の日は興奮して眠れない。普段逆算して前々日に一睡もしないで、前日に強制的に寝るような状態を作っていた。12時間寝てゲームに行く。雨が降ると、そのリズムが狂ってしまう。(中止の日の夜は)日本シリーズで先発できるというのがあったんで余計に興奮して」

~第3戦石井勝利も ヤクルト1発攻勢で3勝3敗~

 寝不足気味で上がった第3戦のマウンド。石井の右腕がうなった。6回まで0行進。7回広沢克己(現克実)の1発を食ったが、崩れない。最後は4番ジャック・ハウエルから9個目の三振を奪って完投勝利を挙げた。ハウエルを4打数4三振。大砲を完全に沈黙させた。

 「西武は外国人に対してインコース攻めは当たり前。インコースにいって四球なら仕方ないという割り切った考え方をしていた。ハウエルはシーズン中、凄かった。欠点が分かったらそこをついて四球ならOK。それがうまくいった」

 石井が引き寄せたシリーズの流れ、第4戦は岡林から秋山幸二が値千金の1発を放ち王手をかけた。第5戦は6点のリードを追いつかれたヤクルトが9回、池山隆寛が潮崎から勝ち越しソロ。突き放した。神宮に舞台を移した第6戦も大混戦。7―7の延長10回、秦真司が徳島・鳴門高の後輩・潮崎からサヨナラアーチをかけ3勝3敗。逆王手をかけられ王者・西武は追い詰められていた。

 優位にあったはずの救援陣は第1戦で鹿取がサヨナラ被弾。第5戦、6戦では切り札の潮崎が池山、秦に痛い1発を浴びている。打線では4番・清原がブレーキ。第4、5、6戦で12打数ノーヒット。野村の愛弟子・古田敦也の頭脳に翻弄されていた。

~1点を追う7回 2死一、二塁で代打送らず石井が打席へ~

 沢村賞右腕と燕エースの真っ向対決。狸同士の最終決戦である。石井は「3戦と違いプレッシャーがかかった」という。4回、石井が自らミスを犯す。先頭の飯田哲也が二塁打。続く荒井幸雄の三塁線へのバントを石井が一塁へ悪送球。飯田のホームインを許しヤクルトが1点を先行した。「結果的に取られてしまったけど次の1点、どうやって守るか必死だった」。5、6回は両軍ゼロ。運命の7回を迎える。

 西武は先頭のオレステス・デストラーデが二ゴロ失で出塁。石毛がバントで送る。1死二塁で笘篠誠治の代打・鈴木健が遊飛で2死二塁。次打者は伊東。石井は三塁ベンチ前で何の指示も受けずにキャッチボールを始めた。「僕も交代だろうと思っていた。回も回だし。1点が欲しいし。とりあえずキャッチボールやるかと」伊東は敬遠。2死一、二塁。石井は首脳陣から打席に向かうよう促された。法大時代は36打数8安打、打率・222。プリンスホテルでは打席に立たず、プロ入り後はこの年の10月10日、日本ハム戦でシリーズ用にDHを外し、初めて打席に立った1打席のみ。結果は三振。打席に向かう石井の頭は混乱していた。「交代だと思ってましたし、心臓バクバク。そうしたら石毛さんに呼ばれて『お前、ピッチングと一緒なんだから気持ちで打て』っていわれて。それでどうにかしてやるという気持ちになれた」

 打席に送った森監督だったが、石井に期待は寄せていなかった。シリーズ6試合で救援陣が崩壊。7回裏には潮崎が第6戦でサヨナラ弾を浴びている秦に打順が回る。鹿取が第1戦で満塁弾を浴びた代打の切り札・杉浦もベンチで待機していた。7回石井に代打を送り同点になったとしても救援陣が終盤の3回を「0」で乗り切る計算は立たない。石井が凡退しても8回は1番・辻発彦からの攻撃になる。“1点を取ることより1点を防ぐ”ための森采配だった。

~プロ人生唯一の安打が奇跡同点打「もう1点もやれない」~

 カウント1ボール2ストライクと追い込まれた石井。4球目、119キロの変化球を振った。「たぶんスライダー。(縦変化の)カーブだったら当たってないし、真っすぐだったら速くて当たらない」打球は右中間へ上がる。前寄りの守備位置だった飯田が必死に背走する。白球はグラブの先に当たりグラウンドに落ちた。まさかの同点。西武が息を吹き返した。

 「あの時バットに当たってファーストに必死になって走ったから最初、空足踏んで転びそうになった。飯田がグラブに当てて落としているから本当は二塁まで行かなきゃいけないのに一塁までしか行けなかった。奇跡ですよ」

~1死満塁 辻神業送球 跳ぶ伊東 広沢憤死~

 その裏、ヤクルトが石井を攻める。先頭の広沢が左前打。1死後、池山、秦の連続右前打で1死満塁となる。野村監督が切り札を切る。「代打・杉浦」石井は4球連続直球でカウント2―2。5球目は宝刀パームボール。320勝投手の小山正明前コーチから授けられた変化球を投じた。だが外角へのボール。フルカウントからの6球目。渾身の直球。力みから少しシュート回転したのが分かった。バットが折れる。打球は一、二塁間へ。二塁手・辻が手を伸ばして捕球、反転して本塁へ送球した。高い。捕手の伊東が跳び上がって捕る。そのまま本塁に落下し、ブロックしたような形になったところに広沢がスライディングしてきた。伊東が体当たりするようにタッチする。満塁の場面。ベースを踏めば封殺となるが、踏んだ確信のない伊東はタッチしてミットを掲げた。アウト。このシーン、後々まで広沢は「お嬢様スライディング」と責められたが、体当たりしようにも伊東は捕球のためジャンプしてベース上にいなかった。空間を確認してスライディングするのはやむを得ない、精一杯のプレーだった。

~大ブレーキ清原交代 石井に「すべて任せた」~

 2死満塁。次打者は岡林。野村監督はそのままエースを打席に送った。結果は左飛。“1点を取ることより1点を防ぐ”こちらの狸も動かないことで西武の攻め手を封じた。西武は8回無死一、二塁。この試合も3打数2三振の清原に打席が回った。初球を打ち遊飛。走者を進めることすら出来ない。無得点に終わり、森監督が動いた。「最後は4番を証明してくれると思ったが。1点取られたら終わりのゲームだから」と清原をベンチに引っ込め、奈良原浩に交代した。清原にとって入団した86年から6度目の日本シリーズ。初めての屈辱だった。

 ヤクルトは8回も1死満塁の好機を築いたもののハウエルが三振。池山も遊飛で石井を崩せない。9回は互いに「0」両監督の思惑通り“1点を防ぐ”野球で試合は延長にもつれこんだ。

~死闘3連覇 MVP石井 プロ野球唯一の「4冠エース」~

 延長10回、西武は先頭の辻が二塁打。大塚の送りバントで1死三塁とした。次打者は秋山。4番には清原に代わった奈良原が入っている。森監督は秋山敬遠と想定していたが、野村監督の決断は違った。秋山を歩かせ1死一、三塁となると重盗やスクイズを仕掛けられる可能性が高まる。足の速い走者と細工のうまい奈良原の存在が逆に脅威となる。三振を取れる可能性のある秋山と勝負。それが「野村の考え」だった。だが、経験豊富な秋山はしたたかだった。大振りせず低めのスライダーを軽くすくい上げ中堅へ犠飛を放った。試合を決める「1点」その裏、石井は最後の打者・ハウエルをパームボールで空振り三振。両手を掲げて雄叫びを上げた。

 「秋山さんのスイングは普段ホームラン打っているスイングじゃなかった。ヒット狙いというかコンパクトに打っていたと思う。やっと終わった。充実感と達成感と疲れも全部来た」

 魂の155球。石井は知将対決シリーズのMVPに輝いた。シーズンMVP、沢村賞、正力賞と合わせた「4冠」を同年で手にしたのは石井唯一人。現在、埼玉西武ライオンズアカデミーコーチ。歴史を刻んだ大エースは育成の現場で全力投球を続けている。
(構成・浅古正則) 

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