【日本シリーズ戦記 1978年「ヤクルト―阪急」】大杉のポール際…前代未聞空白の79分間

[ 2022年10月21日 17:30 ]

1978年、左翼ポール際に大飛球を放った大杉勝男
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 日本シリーズのトラブル史で外せないのは1978年、上田利治監督率いるV3の王者・阪急(現オリックス)と、リーグのお荷物といわれたチームをセ王者に導いた広岡達朗監督のヤクルトとの対決。3勝3敗で迎えた第7戦の6回、阪急のベテラン足立光宏の変化球をすくい上げたヤクルト・大杉勝男の打球は左翼ポール方向へ。富澤宏哉線審は右手を大きく回し本塁打の判定を下した。左翼手・簑田浩二が「ファウルだ」と猛抗議。ベンチから駆けつけた上田監督も審判団に食ってかかり、全選手をベンチに引き上げさせる事態となった。上田監督は態度を硬化。金子鋭コミッショナーの説得にも応じず抗議は1時間19分に及んだ。リクエスト制度が導入された現在ではあり得ない大舞台のトラブル。日本中の野球ファンが待たされた79分間を検証する。(役職は当時、敬称略)

~王者・阪急ミスで先制許す イヤ~な予感~

 舞台は巨人の本拠地。後楽園スタジアム。ヤクルトの本拠地、神宮球場が大学野球との兼ね合いで使用できず、代替えの舞台だった。ヤクルト―阪急の最終決戦。第7戦は阪急・足立、ヤクルト・松岡弘との緊迫した投手戦となった。5回まで両チーム無得点。均衡を破ったのはヤクルトだった。先頭の大矢明彦がバント安打で出塁すると水谷新太郎の送りバントで1死二塁。松岡が凡退した2死からデーブ・ヒルトンの打球は高いバウンドの内野ゴロ。二塁手ボビー・マルカーノが二塁ベース方向で処理し一塁へ送球した。際どいタイミングだったが、判定はセーフ。この判定に一塁手の加藤秀司が塁審に猛抗議。するとその隙を見逃さなかった大矢が一気に本塁を陥れた。円熟したミスのない野球で戦ってきた王者阪急には何とも嫌な失点だった。

 6回も松岡に抑えられた阪急は38歳・足立の投球に頼るしかない。日本シリーズ通算9勝のベテラン。76年巨人との日本シリーズでは3連勝、3連敗で迎えた第7戦に先発。無類の粘りを発揮し2失点完投勝利。2連覇に貢献した。このシリーズでも第3戦に先発。強打のヤクルトに完封勝利していた。

~大杉大飛球 左翼ポール際 線審の手が回った~

 6回裏、先頭の若松勉を左飛。打席に4番・大杉を迎えた。大杉は33歳で迎えた初の日本シリーズ。第5戦で山田久志を叩く3ランを放つなど第6戦まで25打数7安打、8打点と打線を引っ張ってきた。ただこの試合の第1打席では三ゴロ併殺。第2打席では三振と足立の老獪な投球に翻弄されていた。

 カウント1―1からの3球目。内角をえぐるはずのシュートが真ん中に入ってきた。打球は左翼へ。距離は十分。ポール方向へ飛んだ。ポール下のフェンスに背中をつけ見上げた富澤線審の手が大きく回った。後楽園に地鳴りのような歓声が響いた。この判定に怒ったのは左翼手・簑田。守備位置からは打球がポール手前で切れたように見えた。上田監督、梶本隆夫投手コーチも“現場”へ走る。「ファウルやないか!」全審判団もポール前に集まってくる。福本豊や島谷金二ら阪急の野手たちも抗議の輪に加わった。富澤線審に激高して詰め寄った上田監督はらちが明かないと思ったのか、山本球審を両手で突き飛ばすように押すと、静止を振り切りナインにベンチに引き上げるように指示した。放棄試合も辞さず、との姿勢である。球場は騒然となった。

~上田監督猛抗議「ファウルやないか」放棄試合?後楽園騒然~

 場内を静めるため富澤線審はマイクを手に説明を始めた。 

「ただ今、ホームランについて上田監督から抗議がございましたが、完全に」と言ったところで、傍らで聞いていた同監督が「抗議の内容をいえよ」と激怒。その声をマイクが拾いスタンドがドッと沸く。富澤線審が「ポールの上を通過しております。ホームランでございます」と声を振り絞った。上田監督がさらに抗議を続け、再びマイクをとった富澤線審は「上田監督の抗議はファウルテリトリーを通過しているという抗議でした」それでも上田監督は引き下がる気配がない。

 ベンチに戻った同監督だが、試合再開に応じない。試合が中断したのは午後2時54分。同3時45分になったところで一塁側グラウンド入り口で金子コミッショナー、工藤信一良パ会長、鈴木龍二セ・会長が協議。上田監督を呼んだ。ここで同監督がとんでもない“条件”出す。「誰の目にもファウルと分かったはず、だからミスをした富澤線審を交代させたら試合をする」審判交代=誤審を認めることになる。とても飲めるものではなかった。3首脳は突っぱねたが、上田監督は再開を受け入れず三塁側ベンチにこもった。

~指揮官を頑なにさせた第4戦、痛恨の采配ミス~

 同監督も後に認めているが執拗な抗議の遠因は第4戦の采配ミスにあった。2勝1敗で迎えた第4戦。阪急は打線の奮起と今井雄太郎の好投で1点差のまま9回2死までこぎつけていた。ここから伊勢孝夫に内野安打で出塁を許す。次打者はヒルトン。第1戦では山田の前に4打数ノーヒット。上田監督はブルペンに確認をとった上で、山田への交代を決意。マウンドに向かった。今井はこの年の8月31日ロッテ戦でプロ野球14人目となる完全試合を達成。13勝を挙げローテーションの一角を占めていた。上田監督は体調不良のため7月17日から8月24日まで休養。その間、完全優勝につながる後期制覇に大きく貢献したのが今井だった。審判に交代を告げずにマウンドに行った上田監督に今井は「投げさせてください」と続投を志願。他の選手も後押ししたという。一瞬の迷いから続投を決断した同監督だったが、結果はまさかの逆転2ラン被弾。王手のはずが2勝2敗のタイ。混戦シリーズの泥沼に引きずり込まれた。

 3年連続日本一の大人のチーム。采配ミスに向けられる選手の目を痛いほど感じていた。第7戦、V戦士たちが血相を変えて判定に反発している。チームの士気を保つためにも中途半端な形で再開に応じるわけにはいかなかった。

~スポニチ担当記者が左翼スタンド取材、ファンの声は…~

 さて実際に大杉の当たりは本塁打だったのか、ファウルだったのか?

 当時の中継映像での判別は難しい。では選手の証言はどうだろうか。まずは当事者の大杉から。 

 大杉「ポール横の網の上を通過するのを確認して走った。微妙だがホームラン。(三塁側)ダッグアウトの位置じゃ判断できないよ」

 三塁の守備位置で打球の行方を確認していた阪急・島谷「急に切れたのでその瞬間ほっとした」

 阪急・松本正志「ポール下のブルペンでちょうど投球練習をしていたが完全にポールの外を通った。ファウルだった」

 当日、スポーツニッポンの記者は左翼ポール際で取材している。大杉の打球を拾った酒類販売業のFさん。ジャンボスタンド6段目に座っていた。

 「ポールをかすりもせずに30センチから1メートルほど離れて入ってきた。隣にいた息子の左足首に当たった。ファウルだと思って拾ったら大杉が塁を回っている。私はヤクルトファンだが大杉がなぜ回っているのかとびっくりした」

 金融業・Mさん「打撃練習中に打球に当たった人がいたので余計に気をつけて見ていた。ポールの横を通った。絶対にファウル」

~金子コミッショナー怒気「頭を下げてもダメか」~

 後楽園のスタンドにはいらだちが渦巻いていた。ファン同士のつかみ合い。「早くやれ!」ヤジが飛んでいた。業を煮やした金子コミッショナーが三塁側ベンチで上田監督に直談判した。

 金子「僕がお願いする。それでもダメか」

 上田「やるいうよるんですから。審判代わってもらったら」

 金子「アンタどうしてもそれを突っぱるのか。コミッショナーが頭を下げて頼んでもダメか」

 上田「審判にそれをいってもらったらどうですか」

 阪急・渓間球団代表「コミッショナーの話だけは聞いてくれ」

 金子コミッショナーは強い口調で再度再開を促した。阪急球団も山口オーナー代理、渓間球団代表が上田監督を懸命に説得。ようやく中断から79分後の午後4時13分試合開始に応じた。

~明暗79分、松岡は「最高の休憩」足立は「投球不能」~

 前代未聞の長時間抗議。最大の被害者の1人となったのがヤクルト・松岡。スポニチ本紙で連載された「我が道」で松岡氏は当時をこう振り返っている。「疲れがピークにきていた私にとって『中断』は『休憩』だったのである。もうちょっと休ませてくれ、もうちょっと休ませてくれと思っていた。肩を冷やさないようにキャッチボールをしながら、緊張と疲れで硬くなっている体をほぐした。スタンドの観衆を見ているうちに、精神的にもどんどん落ち着いていった」

 一方の阪急・足立は膝の状態から続投は不可能だった。代わってマウンドに上がったのは高卒ルーキーの松本。前年東洋大姫路のエースとしてあのバンビ坂本と投げ合い全国制覇を果たしたドラフト1位左腕だ。シリーズ初登板の19歳はチャーリー・マニエルに1発を食った。8回大杉は3番手・山田からシリーズ4号ソロ。正真正銘の本塁打で日本一を引き寄せた。

~山田が大杉に正真正銘被弾 上田監督深夜の辞任~

 第7戦の夜、上田監督は都内宿舎で辞意を示唆。翌23日未明、梶本、中田昌宏コーチらに辞意を伝えた。一方、23日午前9時、福本、山田らが音頭をとり緊急の選手会を招集。上田慰留を決議した。上田監督は午後1時過ぎ、大阪空港着の日航機で帰阪。午後3時過ぎ、大阪・角田町の球団事務所に出向いた。福本ら選手23名が待ち受け、会議室で辞意撤回を求めたが翻意はなかった。同監督は午後4時過ぎ阪急電鉄本社で森オーナーに口頭で辞意を伝えた。席上、強く慰留されたが退団が決まった。同日夜、梶本新監督が発表された。

 上田利治、この時まだ41歳。若き闘将がシリーズ史に残した「79分間の空白」伝説。5分間以上にわたって抗議を続けると遅延行為として退場処分を科され、リクエスト制度が導入された令和の日本プロ野球で伝説が再現されることはない。
(構成・浅古正則)

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