東洋大前監督・高橋昭雄氏 敗血症で死去…勇退後も野球の話になると一変 ユニホーム脱いでも監督だった

[ 2022年9月9日 04:45 ]

08年全日本大学野球選手権で優勝し胴上げされる高橋監督
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 東都大学野球リーグの東洋大監督を46年間務め、1部通算で歴代最多542勝を記録した高橋昭雄(たかはし・あきお)氏が7日午後7時38分、敗血症のため群馬県内の病院で死去した。74歳。埼玉県出身。通夜は11日午後6時、葬儀・告別式は12日午前11時から、いずれも群馬県前橋市天川大島町1035の7、前橋メモリードホール=(電)027(263)0983=で。喪主は妻初江(はつえ)さん。高橋氏は東洋大では捕手で活躍し、23歳で監督就任。08年はリーグ春秋連覇、全日本大学選手権、明治神宮大会の「4冠」を達成するなどリーグ戦通算18度の優勝と6度の日本一に輝いた。

 【悼む】まさかこんなに早くお別れが来るとは思わなかった。いつも人に囲まれていた監督だった。グラウンドがある鶴ケ島へ取材に行くと、毎回必ず食事会が開かれた。OBや関係者も加わり遅くまで野球談議に花が咲いた。

 監督生活46年。1年目に教え子の落合博満が肉離れを頻発して練習できなくなり「両親に迷惑をかけたくない」と退部したことを「経験があれば細かく見て“休め”と言えた。やめなくて済んだかも」と悔やんでいた。それから痛みを訴える選手は休ませ、必要なら手術を勧めた。厳しい指導で鬼と呼ばれた一方、オフは「土日全部、教え子の結婚式だよ」とうれしい悲鳴も上げていた。

 人工透析で週3日の通院が始まると直接指導できず苦悩していた。勇退後の19年、ご自宅に伺うと歩くのがつらそうだった。夫人は「ずっとソファに座っているから、その形に跡がついちゃうのよ」と苦笑いしていたが、野球の話になると目つきが一変。ユニホームを脱いでも監督だった。

 本当にお世話になりました。ご冥福をお祈りいたします。(05~07、14~20年 アマ野球担当・松井 いつき)

 ▼DeNA・上茶谷(東洋大OB)入学当時から厳しく指導してもらった。選手思いの熱い監督で、勝負の厳しさなどを教えていただいた。天国で見守っておられる高橋監督に活躍する姿を見せられるよう頑張ります。
 ▼楽天・藤井(東洋大OB)とても残念。最後に話したのはドラフト会議の日で“同級生に負けるなよ”と言っていただいた。プロで活躍することが一番の恩返しだと思っています。

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