【内田雅也の追球】伝統を刻んだ春 監督のためでなく、ファンのために戦う精神こそ猛虎の魂

[ 2022年3月1日 08:00 ]

最後のシートノック前、肩を組んで円陣を組む阪神ナイン(撮影・椎名 航)
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 芝の上をモンシロチョウが舞い、外野席後方で青い小鳥が鳴いていた。沖縄・宜野座村野球場はいつもの春だった。

 阪神監督・矢野燿大には感傷があった。「これで最後だな、帰って来ないんだな、と感じながらも、いい日々を過ごせた」。今季限りでの退任を表明して迎えたキャンプの打ち上げだった。

 ただし、監督の個人的な感情などは胸にしまっておきたい。むろん、矢野も承知で「僕が辞めることが大事なんじゃない。どう過ごすのかが大事。一日一日をやり切ろうとやってくれた」と選手たちをたたえた。

 矢野が過去3年間目指してきたのは選手が自ら感じ、考え、動くチームだった。さらに「伝統を残したい」と考えていた。「伝統」とは何か。新明解国語辞典(三省堂)に<前代までの当事者がして来た事を後継者が自覚と誇りとをもって受け継ぐ所のもの>とある。自覚と誇りなのだ。

 矢野にすれば「超積極的に挑戦する」「苦しい時こそ楽しむ覚悟を持つ」「全力で走る」「誰かを喜ばせる」「昨日の自分に勝つ」…と言い続けてきた精神か。「かっこいい野球を見せて、子どもたちの見本になるぞ!」という姿勢か。

 小林繁が江川卓とのトレードで巨人から阪神に移籍した1979年、川藤幸三、江本孟紀、掛布雅之らを前に「阪神には歴史はあっても伝統がない」と言い放った。チームとしてのまとまりを欠く状況を指摘したのだった。

 今はどうか。一丁締めではなく「ラパンパラ締め」で笑顔でポーズを取る光景に一丸姿勢は見える。ただし伝統とは形ではなく心だ。目に見えない精神や姿勢ができたなら、それが伝統になる。
 いや、阪神にも実は伝統はある。「ミスター・タイガース」藤村富美男は日本一となる85年、川藤を呼んで伝えた。球団創設期から戦前戦中戦後と風雪に耐え、発展を支えた偉大な先人は「吉田阪神」「広岡西武」といったチーム名に監督の名を冠した表現が「気に入らん」と言った。「わしらは監督のためにやってきたんやない。ファンのために、お客さんに喜んでもらうために必死にやってきたんや」。それが伝統の猛虎魂なのだ。

 今の「誰かを喜ばせる」に通じている。矢野も「矢野阪神」の呼び名を嫌うだろう。自分は去っても精神は残る。そんな伝統を刻んだキャンプだった。 =敬称略=
 (編集委員)

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2022年3月1日のニュース