新庄ビッグボスの「師匠」 敬遠球サヨナラ打の真相 通じ合った経験者同士のDNA

[ 2022年1月25日 07:00 ]

1999年6月12日、阪神―巨人戦 8回、9号ソロ本塁打を放った新庄剛志とハイタッチを交わす柏原純一
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 【猛虎の血-タテジマ戦士のその後-(13)柏原純一氏】

 元阪神打撃コーチの柏原純一(69)は、日本ハム・新庄剛志監督(49)の打撃の師匠としても知られている。入団した90年に2軍打撃コーチを務め、マンツーマン指導で素質を開花させた。今年の開幕を心待ちにする柏原が、ビッグボスとの秘話を語った。

 いつも連絡が来るのは突然だ。「ついに始めましたね。ゲストに呼んでください」。LINEの発信者は新庄剛志だった。昨年春から動画配信のYouTubeで「柏原純一の野球魂」をスタートさせた直後だった。阪神コーチ時代の愛弟子がすぐにコンタクトを取ってきた。

 「ありがたいけど、ギャラを払えるようなものじゃないよ」

 「そんなのいいですよ。柏原さんからお金をいただこうとは思ってませんから」

 収録は昨年6月。柏原の自宅で行われた。阪神時代の話で盛り上がる中、新庄はふとしたきっかけで語りはじめた。「見といてください。指導者の勉強を少しずつしているんです。オレがトップになるのを期待しててほしい」。そういうことを考えているのか――と話を聞いた柏原だったが、その言葉が意味するものを深く考えたことはなかった。

 昨秋に再びLINEが入った。「ファイターズを変えます。日本のプロ野球を変えます。BIG BOSSになります」。数日後、テレビのワイドショーは新庄の監督就任会見を生中継していた。

 「LINEが入ったときも、何かイベントでもするのかなと思っていたくらい。BIG BOSSの意味も分からなかった。監督と聞いて驚いた。でも改めて考えると、彼は野球に関してはしっかりとした考えを持っている。それは確か」

 90年春、新庄が阪神でプロ野球人生をスタートしたときの、2軍打撃コーチが柏原だった。肩とスピードがあり、スピンのかかった打球はよく伸びた。92年に“亀・新”が大ブレークし、阪神は最後まで優勝を争った。合宿所をファンが囲み、外出ができない夜、新庄は柏原の現役時代の本塁打集のビデオを見るのが習慣だった。

 師弟コンビのハイライトと言える場面がある。野村克也監督の下で指導が復活した99年6月12日、甲子園での巨人戦での敬遠球サヨナラ打だ。

 あるとき、打撃練習する新庄が打撃投手に外角高めへ外したボール球を要求していた。

 「何してるんや」

 「今度、敬遠されたら打とうと思って」

 「いいか新庄、勝手にやったらあかんぞ」

 クギを刺した上で、敬遠球を打つなら野村監督のOKが必要なこと、三塁走者がいるときの敬遠では三遊間が空くからそこを狙う、とポイントを言い含めた。延長12回1死一、三塁で場面が回ってきた。投手は槙原。捕手が立ち上がると、新庄は「打ちます」のサインを柏原に発した。

 「監督、新庄が打ちたいと言ってます」と聞いた野村監督は「あの目立ちたがり屋め」と言った後、考え込んだ。次の言葉がなかなか出てこない。長い時間に柏原は感じた。ようやく「打ってええよ」のOKが出た。サインが送られ、敬遠2球目は狙い通りに三遊間へ飛んだ。柏原も日本ハム時代の81年7月の西武戦で永射保から敬遠球を本塁打していた。2人の打者のDNAがつながった瞬間だった。

 柏原は86年に阪神へ移籍した。チームが日本一になった翌年だった。頂点から一気に急降下する中に加わった格好だが、掛布雅之、岡田彰布、そしてバースと球界を代表する打者とともに戦い、腕を競う日々は楽しかった。そして88年限りで現役を引退した後は指導者へ。そのときに出合った言葉が、柏原にとって阪神時代の財産になった。

 「2軍監督の河野(旭輝)さんからコーチのイロハを教えていただいた。これは大きかった。“いいものはいい。悪いものは悪い。はっきりさせることが選手には必要”ということ。余計なことは教えなくてもいい。それを基本にしてきた」

 阪神時代は新庄、14年からの日本ハムでは大谷翔平に、このポリシーで指導に当たった。阪神での経験が世代を代表する打者に受け継がれている。

 「今年の新庄は本当に楽しみ。うまくいかないこともあるだろう。でも思いきって、好きなようにやってほしい。そして日本のプロ野球を盛り上げてほしい」と目を細めた。=敬称略=(鈴木 光)

 ◇柏原 純一(かしわばら・じゅんいち)1952年(昭27)6月15日生まれ、熊本県八代市出身の69歳。八代東では3年春に甲子園出場。70年ドラフト8位で南海に入団。77年の野村克也監督解任騒動の中で、翌年に日本ハムに移籍。81年にはリーグ優勝に貢献した。86年から阪神で3年間プレーし、88年に現役を引退。指導者としては阪神、中日、日本ハムで打撃コーチを務めた。現役通算は1642試合出場、打率・268、232本塁打、818打点、ベストナイン3度受賞。阪神時代の背番号は2。1メートル79、83キロ(現役時代)。右投げ右打ち。

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