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【内田雅也の追球】野球人が懐かしむノック 8年前に旅立った河野旭輝さんの命日に思い出す

[ 2022年1月25日 08:00 ]

吉田義男氏(左)、中西太氏(中)と話す阪神・河野旭輝チーフコーチ(1991年5月27日、甲子園球場)
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 河野旭輝さんが亡くなって、きょうで8年になる。2014年1月25日、79歳で逝った。

 訃報はどの球団からも発表も広報もされず、記事にはしていなかった。静かに天国に旅立った。

 もう8年がたつ。書こうと思う。誠実、謙虚で愛情深かった河野さんを書いておきたい。

 現役時代は俊足好守の内野手だった。和歌山工から松下電器(現パナソニック)に進み、53年都市対抗初出場に貢献。54年阪急(現オリックス)入り。新人で定位置をつかみ、キューバ出身で1、2番コンビを組んだロベルト・バルボン氏は「僕の先生」と慕った。

 56年、プロ野球新記録の85盗塁をマーク。後輩の福本豊氏が106盗塁(72年)するまで記録保持者だった。中日移籍後の62年も盗塁王となり、現在も史上唯一のセ・パ両リーグ盗塁王である。

 67年西鉄(現西武)で現役を終え、翌68年から西鉄、ヤクルト、日本ハム、ロッテ、阪神、ヤクルト、阪神と、のべ7球団でコーチを務めた。

 落合博満氏にとっては79年、プロ入り当時のロッテ・コーチで、朝一番乗りして、遅くまで練習に付き合ってくれたそうだ。「河野さんに守備、走塁を基本から学んだ。素晴らしいコーチだった」と講演などで語り、著書にも記している。中日監督時代、荒木雅博・井端弘和のコンビを育てたノックは河野流だった。

 阪神時代に指導を受けた岡田彰布氏は河野さんのノックを懐かしみ「また、あのノックを受けたいよ」と話したのを覚えている。キャンプ地・安芸の夕暮れ、激励の声と汗を飛ばし、ノックしていた光景を思い出す。

 阪神では計13年間、2軍監督やチーフコーチなどを歴任した。多くの選手やコーチまでも学んだ。「選手を作る、育てるなんておこがましい。私は手助けをしただけですよ」とつつましかった。

 94年の阪神退団後は社会人軟式野球の強豪、大阪市信用金庫(現大阪シティ信用金庫)でアドバイザーも務めた。

 晩年。阪神時代に3度引率渡米した際に触れた「フロリダでの野球は最高に気持ちいい」と南国の陽光と緑の芝生、白球に思いをはせていた。

 宝塚の寺院に眠る。プロ野球キャンプが近づいてきた。交流のあった日本高校野球連盟の審判規則委員長、窪田哲之さん(64)は「ノックを受けた多くの選手が河野さんを思い出す季節がきますね」としのんだ。
 (編集委員)

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