被災地に捧げた熱投 江尻氏が今でも大切に保管する新聞

[ 2021年8月8日 09:00 ]

11年の球宴、地元仙台で登板した江尻慎太郎氏
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 今夏の球宴は7月17日の第2戦が東日本大震災から10年が経過した東北の楽天生命パークで行われた。試合では地元の楽天・島内が3安打3打点でMVPを獲得。まだまだコロナ下で入場できたファンは1万4852人だったが、東北の未来を担う子供たちも招待されていた。スター選手のプレーを目に焼き付け、夢への活力とするはずだ。

 その試合を感慨深くテレビ観戦した男がいる。日本ハム、DeNAなど3球団を渡り歩き、通算277試合で28勝20敗1セーブの成績を残した江尻慎太郎氏(44)だ。14年にソフトバンクで現役を引退後も会社員として働きながら月に何度かは地元で楽天のテレビ解説も務めている同氏は「今でも覚えています。(プロ入りからの)10年間で、最も印象深いマウンドでした」と、あの日の登板を振り返る。

 2011年3月11日。浪人して早稲田に入学する20歳までを過ごした東北を東日本大震災が襲った。前年の10年途中に日本ハムからトレードで移籍した横浜(現DeNA)でも中継ぎで確固たる地位を築いていた右腕は宮城出身でもあり、同年7月に被災地で開催されることになった球宴にも出場。当初は8回の1イニングを投げる予定だったが、味方投手が負傷して投手が足りなくなった。指揮を執っていた中日・落合監督に数日前に「1イニングでも多く投げたい」と伝えていたこともあり、7回から前倒しで登板。2イニング目の8回は圧巻の3者連続三振を決めた。故郷への思いを白球に込めた快投。スタンドで涙を流すファンもいた。

 感動の秘話には続きがある。その後に落合監督が新聞紙上で当時の江尻氏の心意気について絶賛してくれたのだ。球宴はファンのための夢の舞台。だが、裏では各チームから出場投手に対して球数やイニング数などで様々な制限をかけるケースがあり、指揮を執る監督やコーチは誰にどのぐらい投げさせるかで頭を悩ませる。地元のため、真っ直ぐな目で「投げたい」と直訴してきた右腕について、紙面には「うれしかった」、「選んだ甲斐があった」などと書いてくれていた。

 勝利の記念球やユニホームとともに、関係者を通じて手に入れたその新聞も大切に保管してある。「オールスターで投げた思い出はもちろん、その新聞も自分にとって宝物です」と江尻氏。東北に捧げたその熱投は、多くの人々の心を動かした。(記者コラム・山田 忠範)

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2021年8月8日のニュース