【91年V監督&戦士が祝福】大野氏「津田をV旅行に」から四半世紀

[ 2016年9月11日 05:30 ]

<巨・広>涙を流して黒田(中央左)と抱き合う新井(同右)をナインが笑顔で取り囲む

セ・リーグ 広島6―4巨人

(9月10日 東京D)
 【91年V監督&戦士が祝福】

 【91年V監督・山本 浩二】

 25年前の優勝監督だったOBの山本浩二氏は、復活Vを東京ドームで見届けた。「走攻守全てでレベルが高かったが、勝因はやっぱりみんなの気持ちが一つになれたこと」と目尻を下げた。

 主力選手としても5度の歓喜を味わった。初優勝の75年は首位打者でMVP。79年は打点王、80年は本塁打と打点の2冠、84年はコーチ兼任で打線を引っ張り、86年日本シリーズが引退の花道となった。自分がユニホームを着ていない広島の優勝は、今回が初めてだ。

 「ファンや選手の家族と同じような気持ちで見とったよ。巨人が迫ってきた8月あたりは、ピンチの時は、もうまともに見ていられなかった。黒田と新井に引っ張られ、若い選手はいい経験をしとるし、戦っていく中で目に見えて成長していた」。正真正銘の新時代到来を心から喜んだ。

 【91年V戦士・大野 豊】

 忘れもしない。前回優勝の91年。私は抑えに再転向し津田(恒実)とのダブルストッパー構想でスタートした。それが4月中旬に津田が戦線離脱。チームは苦戦した。7月中旬に首位・中日と7・5差。逆転の転機は山本監督の一言だ。全選手を集め、津田の本当の病名を告げた上で「V旅行に連れていこう」と言われた。水頭症ではなく脳腫瘍。薄々感じてはいたが、そこからチームは一つになった。津田のために…とプレーした選手は少なくないはずだ。私も望外の最優秀救援投手のタイトル。目に見えない津田の力を感じた。

 あれから四半世紀。OBの一人として、この瞬間を待ち焦がれていた。チーム成績を見ても、失策数だけが2位で、他は攻守走の各部門でトップ。勢いだけじゃない。優勝するにふさわしい強いチームになった。誇らしく思う。 (スポニチ本紙評論家)

 【91年V戦士・野村謙二郎】

 91年は3年目でレギュラーをつかみかけた頃だった。今年の誠也と似たような立場だったと思う。1・5差で2位につけていた9月。首位・中日との直接対決を前に山崎(隆造)さん、達川(光男)さんを中心に選手だけのミーティングを開いた。「絶対にひっくり返そう」と誓い合い、3連勝して首位に立った。

 監督に就いた10年当時はBクラスが続いていた低迷期だった。再建の過程でコーチを務めてくれた緒方監督と「丸と菊池を一人前に育てて、チームの中心にしていこう」と話し合った。2人の力を引き上げてくれて、いまや“キクマル”は球界を代表する名コンビだ。昨季は優勝候補にも挙げられ、緒方監督もプレッシャーがあったと思う。2年目の今季はエース格の前田が抜けた中、外国人選手の起用など見事な采配で悔しさを晴らしてくれた。 (スポニチ本紙評論家)

 【91年V戦士が祝福】

 ▼広島・佐々岡真司2軍投手コーチ(2年目で17勝を挙げMVP)前年が2位だったし、僕自身も新人王を逃した悔しさをぶつけた。(今年の優勝は、大瀬良や薮田ら)昇格投手が少しでも貢献してくれたのがうれしい。

 ▼北別府学氏 今年は、投手が我慢していれば報われる打線になった。これが大きいと思う。

 ▼山崎隆造氏(当時の選手会長)投打のバランスがいい。ベテランと若手がそろって安定した力を発揮した。

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