広島・緒方監督 就任2年目の改革 コーチ信頼、進塁打評価、機動力復活

[ 2016年9月11日 09:05 ]

ビールかけで最高の笑顔を見せる緒方監督

セ・リーグ 広島6―4巨人

(9月10日 東京D)
 あえてかぶり続けた鉄仮面は、もう必要ない。広島・緒方監督は男たちの太い腕で、優勝回数と同じ7度舞った。それまで腕を組み、表情一つ変えなかった指揮官は、まばゆい笑顔で声を張り上げた。

 「(胴上げは)最高に気持ち良かった。選手のみんな、よく頑張ってくれた。ありがとう!広島の皆さん、そして全国のカープのファンの皆さん、本当に長い間お待たせしました。おめでとうございます!」

 就任1年目の昨季は4位に終わった。エースの前田もドジャースに移籍した。指揮官は積極的にコーチ陣の意見に耳を傾け、信頼し、大部分を任せた。昨季Vのヤクルトを参考に、まずは簡単に三振しないところから始め、進塁打や内野ゴロによる打点を評価した。足を絡ませて崩す広島伝統の野球も復活。盗塁数はリーグで唯一の3桁だ。頼もしい采配ぶりは、郷里で鮮魚の卸売業を営む父・義雄さん(81)にも「別人」に映った。「これが自分の息子か…」。一時は体調を崩して病床に伏しながら息子の勇姿を励みに回復した。

 恩師の姿が脳裏をよぎる。09年11月3日に61歳で逝去した元監督の三村敏之氏。監督就任時には墓参し、決意を語りかけた。98年、同氏が監督を退く時に掛けられた「いい選手になったな」の言葉は宝物だ。巨人に最大11・5ゲーム差を逆転された96年の「メークドラマ」では、三村監督の下で1番打者を務めた。恩師と同じ背番号9をつけた最初の年だった。無念を共有した師にも、胸を張って報告できる。

 30年前。18歳の緒方青年は高校の卒業文集に決意を記した。「たった一人しかいない自分を、たった一度しかない人生を、本当に生かさなかったら、人間生まれてきたかいがないんじゃないか」。名作「路傍の石」の一節だ。その座右の銘の横に、こうも記した。「オレは輝くぜ」――。

 「今まで追うことしか知らなかったが、追われる立場としてずっと戦えた。全て強くなるための一つの経験。この経験の中で勝ちきって、日本一を勝ち取りたい」

 愛するカープを、最高の輝きにする戦いが待っている。 (桜井 克也)

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