【広島・黒田独占手記】新井と僕は何かを変えたかった

[ 2016年9月11日 05:30 ]

<巨・広>男泣き…。緒方監督に続き胴上げされた黒田は宙を舞いながら歓喜の涙
Photo By スポニチ

セ・リーグ 広島6―4巨人

(9月10日 東京D)
 黒田が泣いた――。広島が25年ぶり7度目のセ・リーグ優勝を達成した。優勝マジック1で迎えた10日の巨人戦(東京ドーム)で42度目の逆転勝ち。黒田博樹投手(41)は6回3失点と力投し史上最年長で優勝決定試合の勝利投手になった。プロ生活20年、前半はBクラス常連。メジャーで7年を戦って復帰し、新井貴浩内野手(39)とともにチーム変革を果たした。号泣、そして盟友との抱擁。チームメートからは5度、胴上げされた。夢をつかんだ思いを手記にしてスポニチ本紙に寄せた。

 夢のようで、出来過ぎかなという感じだ。メジャーリーグに挑戦した2008年。覚悟を持って海を渡った時点で、カープに復帰する野球人生は想像できなかった。ましてや、念願だったリーグ優勝を達成できるとは。涙がこぼれた。こみ上げてくるものがあった。

 いろいろ悩みながらも、もう1年やると決めて、まさかこういう結末が待っているとは思っていなかった。41歳まで野球を続けてよかった。監督、チームメート、そして応援していただいたファンの方には感謝の気持ちでいっぱいだ。

 復帰1年目の昨季。結果は出なかったが、意識の高い選手が多いと感じていた。驚きだった。今季の独走は、そんな若い選手たちが心技体で力を付け、チームを引っ張ってくれた成果だろう。自分以外の投手の試合を見ていると、純粋にカープは強いと感じる。一緒にプレーしていると、一体感を肌で感じる。

 具体的に言うと、その試合、その一瞬に全力を尽くす姿勢。それが若手から伝わってくる。それこそが、新井と僕の目指してきた野球だ。特に野手は、39歳の必死な姿勢に感化されたと思う。差し出がましいが、僕たちが同じ野球観を持っていたから、チームとしてまとまることができたのかもしれない。

 チームは基本同じ方向を向かなければならない。だが以前は残念ながら投手と野手には溝があった。空気を変えたかった。大事なのは助け合う気持ち。互いをリスペクトし言動や態度には注意を払う。投手、野手最年長の僕たちが、タッグを組んでそれを実行してきた。今は溝がなくなったと感じる。

 今春オープン戦。二遊間を守るキク(菊池)と広輔(田中)が頻繁にマウンドへ行く姿を見て「俺の時にも来てくれよ」と伝えた。「どんな状況でもいい。今だと思ったら来てくれ」と。そうすると、投手が醸し出す雰囲気や試合の流れなどを読み、チームのことを考えて動くようになる。彼らには自立してほしかった。以来、凄く声を掛けてくれるようになった。感謝している。そういうささいなことが、チーム力になると信じる。

 07年までの苦しかった時代。新井と僕は何かを変えたかった。でも、力が及ばなかった。お互い、チームを離れ、厳しい環境で生き抜いた。出ていった者が偉そうには言えないが、外を見たからこそ学び、経験できたこともある。同時期にカープに戻ったが、考え方はブレていない。僕たちの野球観は間違っていなかった。この優勝でやっと証明できる。自己満足かもしれないが、今はそういう気持ちだ。

 この2年間、自分の投球には歯がゆさを感じてきた。先発ローテーションを任される以上、責任を全うしたいと思うが、気持ちと体が一致しないことが少なくない。だが、どんなに苦しくても、結果を残さなければいけない。クライマックスシリーズ、そして日本シリーズへ向け、持っている力の全てを出し切りたい。チームが勝ち、ファンの人たちが笑顔になるように――。 (広島東洋カープ投手)

 ≪メジャーと復帰後も優勝は5人目≫黒田は08年ドジャースで自身初優勝となる地区優勝を体験。09年、さらにヤンキース時代の12年にも地区優勝した。メジャーで優勝し、国内復帰後にもリーグ優勝したのは5人目となった。

続きを表示

この記事のフォト

2016年9月11日のニュース