長嶋さん闘いの日々 壮絶リハビリ休んだのは9年で2度だけ

[ 2013年5月6日 06:00 ]

安倍首相が球審を務めた始球式で、松井氏の内角高めの球を左手一本で力強く振り抜く長嶋氏。捕手の原監督も思わずのけぞる

国民栄誉賞授与式

 あのヘルメットを飛ばす現役時代の空振りシーンがよみがえってくる。大観衆を沸かせたミスターのパフォーマンス。その姿に誰よりも感激したのが、長年のリハビリに付き添ってきた小俣進氏と所憲佐氏の2人だった。

 「監督は自分に妥協しなかった。志が違う。だからここまで来れた」と小俣氏。所氏も「一日1ミリでも動かそうと…。監督の姿には日々感動させられる。頭が下がる思いです」と続ける。

 小俣氏は長嶋氏が監督復帰した93年から専属広報に、01年オフの監督退任後も仕えてきた。そして09年8月から専属広報として支えた所氏。厳しいリハビリを見てきたから感激もひとしおだ。

 病に倒れたのは04年3月4日。その5日後にはリハビリをスタートさせたという。麻痺(まひ)が残った右半身と言語。最初はベッドの上で簡単な言葉の練習だった。緊急入院から40日で退院し、都内のリハビリテーション施設へ入所すると、施設内の廊下で本格的な歩行訓練を始めた。「入所したその日からですよ。泣いてやめてしまう人もいるようなリハビリを黙々とやってきた。今まで監督の弱音を聞いたことは一度もありません」。小俣氏はそう振り返る。

 今は週6日、朝のウオーキングと施設でのリハビリをこなす。9年間で休んだのは大雪の日と風邪で体調を崩した2回だけだ。「雨の日だってびしょ濡れで歩く。大雪の日も自宅の廊下を歩いてました」と小俣氏。1周約1キロの散歩コース、最初は1時間近くかかったのが今では17分で走破する。左右の太腿の太さも同じになった。筋肉が付いた証拠だ。以前は固定していないと肩が脱臼してしまった右手も2年前から動くように。所氏は言う。「右手は“5年も休んでた。その分、倍やるんだ”と。腕を上げ、指を曲げる訓練は休みの日もやってますよ」

 長嶋氏にとってリハビリではなく、トレーニング。ここまで回復したのが奇跡だが、満足などしていない。この始球式も通過点。関係者には「あと1年あったら、ちゃんと打てた」と言い、今度は「グラウンドで走りたい」とも話している。2人は信じている。ミスターなら、その言葉を必ず実現させる、と。

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2013年5月6日のニュース