中村紀の支え 尊敬する落合氏から「俺とおまえは一緒だ」

[ 2013年5月6日 06:00 ]

<中・D>8回1死一、二塁、2000安打を達成し、ガッツポーズするDeNA・中村

セ・リーグ DeNA9-4中日

(5月5日 ナゴヤD)
 宣言通り、ナゴヤで決めた!DeNAの中村紀洋内野手(39)が5日、中日戦でプロ野球43人目の通算2000安打を達成した。あと2本で臨んだ試合で、5回に中前打、8回に左中間二塁打を放った。1日には大リーグでの5本を加えた日米通算2000安打を記録し、名球会入りの条件を満たした。しかし、あくまでも日本での記録にこだわり、中日時代の本拠で大台に到達した。

 最後だけは、代名詞のフルスイングを捨ててでも決めたかった。2点リードの8回1死一、二塁。左中間を破る2点適時二塁打で日本通算2000安打を達成した。

 「どうやって打ったか記憶がない。これが2000本なのかと思う。投手から球が離れた瞬間、ミートに切り替えた」

 かつて2年間プレーした中日の本拠ナゴヤドームは大歓声に包まれた。あと2本とした前日の試合後も「ここで恩返しの2000安打を打ちたい」と約束していた。家族も呼び寄せた。3人の愛娘は学校の部活動があるため、6日以降は観戦できなかった。

 2度の浪人を味わった波瀾(はらん)万丈の22年間。妥協しない生き方は周囲と衝突もしたが「勝負の世界は結果が全て」と野球の神様に背くことはしなかった。近鉄時代は夜遅くまで飲み歩いても、必ず30分以上の素振り。両手に残った感触を大事にするため、バットを握ったまま寝た。

 高々と足を上げる豪快な打法。1年目に2軍の首脳陣から確実性を求めたフォームを勧められたが拒否した。尊敬する落合博満氏のビデオを何万回も再生して研究。「落合さんが(一塁を守った)日本ハム時代はわざと打てる球を見逃して四球で出て、“教えてください”って聞いた」と師匠の技術を追究した。

 入団当初は前さばきだったポイントが年月を経て右膝付近まで後ろに。広角に本塁打を量産したが、代償は大きかった。左手首を5度手術。握力は40を切り、バッティングセンターでグリップが細い小学生用のバットで振ると、遠心力を手首が支えきれずバットが飛んでいった。「悔いはない。本塁打を打ちたいから」と笑う。テープでグリップを何重も巻いた35インチの長尺バットでフルスイングを貫いた。

 宝物にしている言葉がある。中日時代に落合監督に声を掛けられた。「俺とおまえは一緒だ」。打ち方だけではない。存在を認めてくれたのがうれしかった。昨オフに球団から代打要員と告げられた。「レギュラーで勝負できなかったらもうええなって。そこで妥協して始まった野球人生やない」と今季は結果次第では引退覚悟だった。

 試合後、会見の表情は闘う男の目に戻っていた。「家族のためにも1年でも長くユニホームを着たい。チームがCS、優勝に近づけるように頑張りたい」。チームを引っ張る使命感で燃えていた。

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