中村紀 無名の府立高で追い求めた飛距離 フォームいじらず

[ 2013年5月6日 06:00 ]

渋谷高校時代の中村紀

セ・リーグ DeNA9-4中日

(5月5日 ナゴヤD)
 DeNA・中村は「1年から試合に出たかった」と無名の大阪府立渋谷高に進学した。PL学園、近大付属など私立の強豪校が甲子園常連校だった時代だ。当時の長谷至康監督(59=現箕面東野球部監督)は「入部の時は体重が100キロはあった。“プロに行きます”って言ったから、“その体は相撲取りや!”と返した」と懐かしそうに回顧した。

 当時からテークバックの際、バットを大きく後ろに引く独特の打法だったが、あえてフォームをいじることはしなかった。「だって打ってましたから」。入部してすぐにレギュラー組。3カ月後には体重は70キロ台に。「スーパーダイエット。つらそうなそぶりも全然見せなかった」という。

 90年の2年夏には「4番・投手」で府立校として8年ぶりの甲子園出場。忘れられない一発がある。大阪大会決勝の上宮戦。前年のセンバツ準優勝投手・宮田正直(元ダイエー)から3回にバックスクリーンへ運んだ。「ノリは一度打ったら、その飛距離が基準になる。体が打ち方を覚えて次の日は普通に同じような(軌道の)アーチを飛ばしていた」と振り返る。

 高校を卒業して22年。「いつ会っても昔と変わらんよ。もう少しうまく生きろと思うぐらい純粋で真っすぐ。死ぬまで野球をやってほしい」。恩師の声には深い愛情の響きがこもっていた。

 【ノリ記録アラカルト】

 ☆異色のキャリア 大リーグで安打を記録し、かつ日本だけで通算2000安打を達成した日本人打者は中村が初めて。国内在籍5球団目での達成は、87年加藤(阪急→広島→近鉄→巨人→南海)と並ぶ最多タイ。近鉄で1294安打を打った後は、移籍を繰り返しながら安打を重ねた。

 ☆スラッガー 中村は00年に本塁打王、00、01年に打点王を獲得。2000安打以上の打者で、両部門タイトルの経験者は中村が14人目だ。中村は通算400本塁打にもあと6本。2000安打、400本塁打、1000打点を全て達成すれば史上15人目になる。

 ☆同一球団でW快挙 中村は同僚のラミレスに続く快挙。同じ年に同一球団の2人が達成するのは、87年に南海の加藤と門田が達成して以来2組目。セ・リーグでは初めてだ。

 ≪41番目のスローペース≫中村(D)が中日戦の8回に中田賢から左中間二塁打を放ち、通算2000安打を達成した。プロ野球43人目。初安打は近鉄時代の92年6月18日の日本ハム戦(藤井寺)で河野から放った左本塁打。通算2162試合での到達は、達成43人中41番目のスローペース。

続きを表示

2013年5月6日のニュース