松井氏の提案だった 長嶋さんとおそろいスーツで史上初W受賞

[ 2013年5月6日 06:00 ]

長嶋終身名誉監督(左)をオープンカーにエスコートする松井氏
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国民栄誉賞授与式

 太陽が涙を見せた。ミスターの目が潤んだ。ソフトバンク・王貞治球団会長から花束を受け取った長嶋氏は、ゆっくりと王会長の右肩に顔をうずめた。眼鏡の奥の両目が光る。「ON」として一時代を築き、国民栄誉賞の先輩後輩となった永遠不滅のコンビ。「おめでとうございます」。耳元でささやかれた言葉に、ミスターは静かにうなずいた。

 「かつてないセレモニーで、ファンの皆さんが一緒に喜んでくれて…。ありがとうございました」。04年3月、脳梗塞で倒れた。どんなにつらいリハビリにも音を上げなかった長嶋氏が、大勢のファンの祝福に涙を見せた。太陽のような存在として球界を、日本全国を明るく照らしてきた。そんなミスターと松井氏が、史上初めて国民栄誉賞を同時受賞。師弟は同じ濃紺のスーツ、ストライプのシャツ、小さな水玉柄のネクタイ姿で晴れの舞台に臨んだ。松井氏の提案で長嶋氏行きつけの、東京都港区内にある高級テーラーで数十万円で特別にオーダー。「素晴らしいスーツを作っていただき、ただただ感謝しています。一生大事にします」。素敵だった。とてもよく似合っていた。

 「ただただ光栄です。僕にとって人生の師匠。おそらく国民の誰より、僕が一番(長嶋氏の受賞を)うれしく思っています」。92年11月21日のドラフト会議。4球団の指名が競合した中、当時の指揮官が当たりくじを引いてくれた。運命の一日から7470日。「4番1000日計画が非常に印象強い」という長嶋氏の存在により、松井氏の人生は大きく変わった。大きな実を結んだ。授与式では麻痺(まひ)が残る右手が使えない長嶋氏のために、表彰状や盾、金のバットなどが手渡されるたびに松井氏はそっと両手を添え、支えた。

 授与式に先立ち、日産セドリックのオープンカーに乗り、5分近くかけてグラウンドを一周した。2人だけのパレード。「ミスター!」「ゴジラ!」。降り注ぐ大歓声に、スタンディングオベーション。師弟にとって、至福の瞬間だった。絆。「半」分の「糸」が、1本に寄り合わされた文字だ。長嶋茂雄と松井秀喜。2つの運命の糸は今までも、そしてこれからも固く結ばれていく。

 ▽国民栄誉賞 1977年に野球のホームラン世界記録を達成した巨人・王貞治選手(当時)の功績を称えるため創設された。当初は広く国民に敬愛され社会に明るい希望を与える顕著な業績を挙げた個人が対象だった。サッカー女子ワールドカップ(W杯)で初優勝した「なでしこジャパン」に贈る際、団体として受賞できるよう表彰規程を変更した。これまで国民栄誉賞の受賞例は21あり、歌手の故美空ひばりさんや映画監督の故黒澤明さんらも受賞している。

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