緑と太陽の平和台 恐ろしい空気に一変

[ 2010年9月8日 06:00 ]

平和台球場から引き揚げられないロッテナイン

 球場各所に散った115人からなる3個小隊の福岡県警機動隊が、ビンを投げた者をビシビシ検挙していった。一塁側ダッグアウト付近で顔中血だらけにした中年の男がヨロヨロと出口に歩いていく。スタンドとロッテナインにはほとんどトラブルがなかったが、太平洋ファン同士があちこちで衝突してしまった。

 3点差ありながら好投の近藤を引っ込め、木樽を救援に送ったのも太平洋の反撃とともに騒然とするスタンドをピタリ押さえる狙いがあった。事実、全くつけ入るスキを与えない木樽の好投はそれ相応の効果があった。しかし、3時間1分後の9時31分、試合終了のサイレンとともにじっと観戦していたファンまでも暴徒に変わった。サブトンならまだしも酒ビン、空カンをポンポンと球場へ投げ込んだ。機動隊員がグラウンドからにらみつけてどうにもならない。
 「あーあ、情けないよ。野球はもっと楽しくやるもんだ。ワシのセリフも遺恨試合のキャッチフレーズも太平洋フロントにすっかり利用されてしまった」。金田監督のホコ先は太平洋フロントに集中した。太平洋としては県警機動隊や福岡警察署と何度も会合を重ね、この日は私服警官10人、アルバイトの整理員も普段の2倍の120人を配置し全力で騒動防止につとめてはいた。
 だが試合後の混乱で極力、私情を押さえていた金田監督の口から思わず不満が飛び出した。顔中血だらけの男は、試合前からさんざん毒づいていた。三塁側ダッグアウトで「百姓とは何だ。許せんぞ、九州人がこれで引き下がれるか!」もはや野球を忘れ去って“遺恨”だけが体中と覆っていた。
 経費200万円をかけて1・6メートルの内野金網を3・2メートルにかさ上げ、ファンの乱入を防止する狙いは的中したが、この“遺恨”までは止めるのはとうてい無理だった。機動隊員と衝突を繰り返し、試合後1時間以上もロッテナインを通路に閉じ込めた。日中は緑と太陽の平和台が恐ろしい“戦場”のような殺ばつとしたものに変わった。
 「ワシの言葉じりだけをつかまえて宣伝に使ったこと自体が間違いだ。5月3日の川崎がいかにひどかったか。まずそれを考えるべきだ」。いくら、わいわい騒いでも金田監督の口は一向にひるまない。勝因は「近藤の好投」だかで、あとはすべて騒動の責任追及だ。
(中略)
 6月1日―福岡はあちこちで機動隊員が活動した。正午過ぎ、市内中央区の須崎公園で大がかりな“演説”が行われた。隊員は「デモのためです」と言っていたが、本当は“平和台作戦”のリハーサルをやっていたのもしれない。

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2010年9月8日のニュース