【1973年6月1日】ファン暴徒化、機動隊が出動

[ 2010年9月8日 06:00 ]

1973年6月1日の“遺恨試合”を報じる6月2日付けのスポニチ本紙

 1973年6月1日に行われた太平洋―ロッテ戦で、ファンが暴徒化し機動隊が出動する大事件が発生した。もともとは、ロッテオリオンズの金田正一監督と太平洋クラブライオンズの稲尾和久監督の二人が、舌戦を仕掛けて人気低迷にあえいでいたパ・リーグを盛り上げようとしたことが発端だった。

 金田監督が稲尾監督に対し「田舎チームに負けてたまるか」と発言するなど、あえてファンを刺激させるようなことも口にした。しかし、演出だった仕掛けにファンがヒートアップしてしまい、不穏な空気が流れるようになり、ロッテ―太平洋戦は“遺恨試合”と呼ばれるようになった。
 この日の試合終了後、酒ビンや空カンがロッテベンチに向かって投げ込まれ、客同士でつかみ合いをする者もいれば、ファンと口ゲンカする金田監督に応援で使う旗の先を金網の隙間から突き出す者もいた。ロッテの関係者が出てくる三塁側の関係者入り口にも暴徒が殺到し、福岡県警の機動隊と衝突し収拾がつかない状態になった。
 結局ロッテナインが球場から出られたのは1時間半後。投石から身を守るため、警察の護送車で球場を後にした。

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2010年9月8日のニュース