宮下5の5!亡き父に感謝の特大2戦連発

[ 2010年8月15日 06:00 ]

<遊学館・関東一>9回表、宮下が左前打を放ち、この日5安打と大爆発

 【関東一11-4遊学館】丸太のような両腕で高めのスライダーをひっぱたいた。3回無死二塁。宮下の放った打球は一直線に中堅やや左の中段席へ。「完ぺきでした。ホント、完ぺき」。推定飛距離約140メートルの文句なしの特大弾だった。

 初回から打ちまくった。第1打席は左中間へ適時三塁打。第2打席で1回戦の佐野日大(栃木)戦に続く2試合連続本塁打を放つと、第3打席以降は3連続単打。「最後の打席の前によく考えたら“あれ?サイクルだ”と思いました。正直狙いましたけど無理でしたね」。それも余裕の苦笑いだった。5安打4打点。これで1回戦の最終打席から6打数連続安打でチームをけん引する。

 長打力の秘けつは右手の強さ。「筋力トレーニングは好きじゃない」と話すが右前腕部の太さはチーム一。通常、右打者は引き手の左手でバットを操作するが、この強じんな右腕を押し込むことでケタ外れの飛距離を生んでいる。関東一のグラウンドは両翼95メートルのフェンスの上に10数メートルのネットが張られているが、宮下の打球はそのネットを軽く越え、左翼後方にある畑まで飛ぶという。佐久間コーチは「畑まで飛ばすのはあいつだけ。これまで(同校)でNo・1の飛距離」と証言する。

 大会中の宿舎には元大洋(現横浜)で外野手だった父・正彦氏(故人)の現役時代のユニホームをテレビの上に飾っている。「きょうの本塁打の打球も普通はあんなに飛ばない。あそこまで飛んだってことは何かあると思う。やっぱり見ててくれたんですかね」と天国の父に感謝した。そして3回戦の早実戦に向けては「東京で一番になりたいのでやりたかった」と心待ちにした。

 1年生で出場した08年夏の甲子園後、先輩から贈られたボールにはこう書いてあった。「甲子園の怪物になれ」――。宮下はその片りんを徐々に見せつつある。

 ◆宮下 明大(みやした・あきひろ)1992年(平4)4月10日、横浜市生まれの18歳。3歳から野球を始め、東小松川小では軟式野球チームの「しらさぎ」で投手。松江一中では江戸川中央シニアに所属し、3年春に全国大会に出場した。関東一では1年夏からベンチ入り。秋から4番を務める。握力は右70キロ、左68キロ。1メートル80、82キロ。右投げ右打ち。

 ≪白井完投、大量援護に感謝≫関東一のエース白井は大量援護を受けて4失点完投。「初戦はバテたけど、きょうはペース配分できた。序盤(大量点)で安心して投げられた」と笑った。8日の1回戦後、野手陣に「点を取ってくれ」と言っていただけに、4回までの11点に感謝しきり。中盤に変化球を狙われて失点すると「直球中心に配球を変えて最少失点に止められた」と満足そうで、早実との3回戦に「打線がいいので頑張りたい」と気合を入れていた。

 <遊学館 土倉まさかの大量失点…>先行逃げ切り型のチームにとって、4回までの11失点はあまりに重かった。1回戦の一関学院(岩手)戦で完封した2年生エース土倉が立ち上がりから制球が定まらず3回途中までに7失点。「1回戦より調子は良かったが、慎重になりすぎてカウントを悪くしてしまった」。1、2年主体のチームで臨んだ甲子園で、山本監督は「われわれにとってはいい試合になった。成長してまた戻ってきたい」と穏やかに話した。

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2010年8月15日のニュース