西村、沢村の母校が戦死の名投手を追悼し試合

[ 2010年8月15日 18:15 ]

 戦前のプロ野球で活躍、太平洋戦争で戦死した三重県伊勢市出身の西村幸生(1910~45年)、沢村栄治(1917~44年)両投手を追悼するため、2人の母校の野球部が終戦記念日の15日、伊勢市の倉田山公園野球場で親善試合を行った。

 西村投手の母校は同市の宇治山田高校(旧宇治山田中学)で、野球部OB会が生誕100年を記念し、同郷の沢村投手が通った京都学園高校(旧京都商業学校)に試合を申し込み、実現した。
 試合は午前10時に始まり、序盤から打線がつながった京都学園が10―1で勝ったが、途中、正午には中断して後輩たちとスタンドの観客が黙とうした。京都学園主将の2年生浅居裕稀選手(16)は「平和の中、全力でプレーできるのは沢村さんと西村さんのおかげ。甲子園に行って恩返ししたい」と話した。
 西村投手は大阪タイガース(現阪神)で巨人キラーとして名をはせ、東京巨人(現巨人)の沢村投手も剛速球でファンを魅了。2人はプロ野球草創期を支えた。しかし西村投手は出征先のフィリピンで34歳で戦死。沢村投手も3回目の召集で南方に向かう途上、27歳で亡くなった。
 西村投手の長女津野田幸子さん(72)も在住先のハワイから駆け付け観戦。「父も喜んでいると思う。若い子たちも両投手のように観客を楽しませる野球をしてほしい」と目を細めた。

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2010年8月15日のニュース