託された遺志…ダル“小林氏超え”必ず

[ 2010年1月19日 06:00 ]

日本ハム2軍本拠地の鎌ケ谷ファイターズタウンに設置された小林氏の献花台

 日本ハム・ダルビッシュ有投手(23)が17日に心不全で急死した小林繁投手コーチ(享年57)の“遺志”を継ぐ。チームを襲った突然の悲報から一夜明けた18日、宮崎で自主トレ中のダルビッシュは球団を通してコメントを発表した。昨年、沢村賞を2度獲得している小林氏から「オレを超えろ」と激励されたエース。その“遺言”を胸に、今季は同氏が79年にマークしたシーズン22勝超えでの日本一奪回を目指す。

 突然の悲報から一夜明けても、ダルビッシュの心は悲しみに包まれていた。エースは球団を通してコメントを発表した。
 「昨年は1軍、ファームと分かれており、あまり話す機会はありませんでしたが、とても熱意がある方と聞いていた。今年は1軍投手コーチに就任され、同じ舞台で戦うことになっていたので、訃報を聞いてとてもショックを受けています」
 今季から1軍投手コーチに就任した小林氏と一緒に戦うことを楽しみにしていた矢先の訃報。前日はナインの携帯電話に連絡を入れ、何度も「信じられない」とこぼして絶句したという。昨年6月、交流戦後に足を運んだ千葉・鎌ケ谷で、当時2軍担当だった小林氏と対面。両手で力強く握手した際の言葉が“遺言”のように思えた。
 「オレは22勝したけど、ダルはまだ20勝してないだろう。今は昔に比べて(登板)試合数が少なくて難しいけれど、ダルは自分でしっかりリズムをつくって調整できる。ダルならできるよ。オレを抜いてみろ」
 チームの勝利を優先し自身の記録に興味を示さないエースだが、“江川事件”の余波を受け、79年に巨人から阪神に移籍しながら反骨精神で22勝を挙げた右腕の言葉には重みを感じた。自己最多は08年の16勝。昨季は終盤に右肩、左臀(でん)部痛で戦線を離れ、最終的に15勝5敗、防御率1・73で最優秀防御率と最高勝率の2冠を獲得したが、決して成績には満足していなかった。
 16日に都内で行われたイベントで対面。昨年の日本シリーズで右手人さし指を骨折した影響が考慮され、今後の調整法についてはこれから煮詰めるところだった。梨田監督も「(ダルビッシュの)スケジュール的なものも含めて、徐々に話し合っていこうという矢先だった」と明かした。
 エースだけではなく、若手投手にも助言を送っていた小林氏。サイドスローに転向した糸数は「昨年の日本シリーズで巨人にボコボコにされた夜、小林さんから電話がきて“来年は今年以上に働いてもらうからな。頑張れ”と言われた」と話し、セットアッパーとして頭角を現した金森も「ピンチになったら子供の顔を思い出せと言われた」と振り返った。
 小林氏の熱い思いに応えるには結果を残すしかない。ダルビッシュが目指すものは日本一奪還、そして2人だけの約束。深い悲しみを力に変えてエースは今季のマウンドに立つ。

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