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甲子園“沸かせた”ヒゲ球児 あん時の土はどこいった?

[ 2016年8月1日 05:30 ]

甲子園で兵庫県大会を行った市立西宮ナインと筆者(左上)
Photo By 提供写真

 ふと高校野球について書きたくなった。夏の熱闘甲子園は俺の中では一番の夏の風物詩である。この原稿を書いている今日(7月28日)兵庫県代表は市立尼崎に決まった。我が母校の市立西宮は善戦むなしくベスト16で敗退。兵庫県だけでも162校。甲子園で全国優勝でもしようものなら3906校の頂点となる(去年参考)。その頂点目指して3年間、球児たちはひたすら白球を追う厳しい練習の日々。高校野球ファンは、郷土の夢を背負うそのひたむきな姿に胸を熱くし一喜一憂する。

 若い時に野球に限らず青春の代名詞と思うスポーツをやればいい。勝って泣き負けて泣く。栄光と挫折は人間形成の基本。夢に立ちはだかる試練や壁。必死に考えてそして工夫が生まれる。絶対諦めない執念、そして覚悟。たかがスポーツされどスポーツ。社会人になって誰しもがこう言う『ほんまやっとってよかったわ~』てね。

 『どの口がそんな能書きたれとんねん!』と、当時の俺知ってる連中のお叱(しか)りの声。俺はエースで4番、エラーでもしようもんなら『次やったらシバく!』。ドンマイ精神なんてあっち向いてホイ。俺らの時代はまだ県予選で甲子園球場が使えた(今はあかんで)。俺の青春が終わった最後の試合はこの聖地甲子園。応援団席の連中に『初球はバックネット最上段に大暴投するから笑えよ』と有言実行。大爆笑する応援団席に向かって手を振って答える俺。『ふざけるんじゃない!』と主審にガチ怒られる。試合は負け。そしてベンチの前で土をかき集めるあの有名なシーンを演じてると主審ダルそうに駆け寄りこう言った。『キミたちコレ予選やし』って(笑)。

 『近くて遠かったなぁ~甲子園て……ん?ちょっと待てよ』。俺には最後の秘策があった。夏の甲子園の入場行進で、プラカードを持つ特権が我が母校の女子。数日後俺は、女子の最終選考してる体育館に『ちょっと待った!アタイも甲子園へ連れてって!』と突如乱入。館内はなぜか大爆笑。俺のいでたちはオカンのズラに厚化粧、セーラー服にあんパンつめた巨乳女子高生。先生一言『せめてヒゲ剃(そ)ってこい!』と。えー?こんなんでバレまっかー?

 今、ヒゲ生やした球児って絶対アウトやろな(いや昔もアウトや)。にしても、あん時の甲子園の土はどこいってしもたんやろ?以上俺の薄っぺらい夏の思い出でした。チャンチャン!

 ◆齊藤 哲也(さいとう・てつや)1959年(昭34)4月生まれの57歳。元競輪選手(兵庫支部)。45期生の卒業チャンピオンとして80年にデビュー。S級で活躍も40歳で悪性リンパ腫により、03年7月やむなく引退(優勝25回)。本紙予想コラムでは高配的中数知れず。アナ車券の達人!! 兵庫県、S阪神のアドバイザーとしても活躍。現在もガン闘病中のカリスマ的患者。

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