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悪性リンパ腫からの復活!高谷敏史 かんばれよ~!

[ 2011年10月20日 06:00 ]

 もう2年ほど前の話になるが、俺の兄弟子でもある日競選常務理事の塚本大ちゃんから電話が入った。「青森の高谷敏史が哲也と同じ悪性リンパ腫になったらしいわ」「えっえぇー」「デビューしてまだ3年の若い子や。で、おまえの携帯番号教えといたから、電話あったらしかと頼むで」「待ってりゃーええんですかえ?」「掛かってこんかったらおまえからしたれ」「がってん承知でぇー」

 高谷敏史(91期=26)。北日本期待のド先行屋。トントン拍子でS級に昇格しその名を全国に売り出していた矢先、病魔に突然襲われる。若武者まだ24歳。

 苦しい練習でさえも楽しく思える一番楽しい時期でもある。天国から地獄…俺が40歳で宣告されたのがオチャメにさえ思える。

 俺の闘病生活、今年で丸12年。再発はなんと6回。どうだ凄いだろ(ナニ自慢しとんねん)。騎乗位よりイヤ机上より体験に優るものはない。抗がん剤・放射線・幹細胞移植・骨髄移植と、ありとあらゆる治療を体験してきた俺は、そこらへんの免疫血液の医者より能書きたれる知識と自信は持っているのだ。「何とかしてやりたいな」俺は高谷からの電話を待った。が結局、俺の携帯の着信音は「まいど!おいど!アッハーン!」の常連ばかりであった。

 人にはそれぞれの思い、決意、覚悟がある。まして状況や事情も見えてないのなら、自分勝手かもしれぬおせっかいを慎しむのが礼儀。「まっええか…」

 月日は流れ、なにげに見た今年9月の青森FI戦。忘れかけていた高谷の名前を発見した。2年と2カ月ぶりの復帰である。長期欠場のためにランクはA2まで下がっていたが、なんとガンガン先行してるのがこりゃまた凄い。治療によって痛め付けられた肉体は0からではなく、様々な後遺症、副作用のハンディを背負ったマイナスからのスタートや。で、ド肝抜かされたのが復帰2戦目の福島平での優勝や。俺がテレビの前でウルウルきたんやから、現場にいてた選手、ファンたちは感動の雨あられやったんやろな。被災地への勇気と希望にも…そう思うとほんまええ話やなぁ。

 死と直前して得るもの…人の優しさ思いやり、愛、感謝、支え、仲間…ザクッというと無償の慈愛だな。つまりお釈迦(しゃか)さんになれるのかなって錯覚するぐらい満たされちゃうわけです。自分だけが受けた苦悩はそっと胸にしまい込み、もう一度テッペンだけを目指すだけ。それが何よりの恩返し。がんばれよ~。(元競輪選手)

 ◆齋藤 哲也(さいとう・てつや)1959年(昭34)4月生まれの52歳。元競輪選手(兵庫支部)。45期生の卒業チャンピオンとして80年にデビュー。S級で長きにわたり活躍し、03年7月に引退(通算183勝、優勝25回)した。本紙予想コラムでは高配的中の実績、数知れず。アナ車券の達人だ!!

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