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事故から車いすレーサーで“復活”、田中祥隆 世界のテッペン目指せ

[ 2018年2月1日 05:30 ]

車いすレーサーとしてパラリンピックを目指す田中祥隆
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 福岡県北九州の田中祥隆(42=81期)は元競輪選手であった。数年前、俺の九州の仲間である内田浩司、中井大介から「同じ練習グループの可愛がっている後輩がエライことになってしもた」とショボくれた声の電話で事情を聞いた。このコラムでも書いたが、俺は大阪の元競輪選手の山屋仁を思い出した。アイツは街道練習中に止まっているトラックに激突してこの世を去った。田中祥隆もまったく同じ事故である。冷たく聞こえたかもしれんが、俺は内田らに「その子、もっとるわ。人は生きてこそやで」と、ぶっきらぼうで言った。

 彼は数週間、生死をさまよい意識が戻った。しかし脊髄損傷で胸から下への機能を失った。そして志半ばで競輪選手を引退。本人でしか分からぬ絶望の壁は生半可な高さではなく、断崖絶壁であり、俺らが簡単に想像できるものではない。

 必死で、もがき苦しんでいる入院中、パラリンピックを3度出場している1万メートル、フルマラソン日本記録保持者の洞ノ上浩太選手と運命的な出会いがあった。練習を見学。元競輪選手に決断の時間がかかるわけがなく、福岡の車いすレーサーのチーム【TEAM BLUETAG.2ARM DRIVE】のメンバーとなった。

 車いすレースは、とんでもないハイレベルで「6年しても、いまだにペーペーですよ」と、電話でこの前、笑ってました。そして「腹筋背筋使われへんのが、かなりのハンディなんやろ?」の質問には「世界チャンピオンは僕と同じ境遇なんでね。だから絶対パラリンピックに出場して頂点を目指しますよ」と力強く宣言してくれた。

 内田浩司が発起人の【田中祥隆激励ライブ 熊本の仲山桂&大分の木元敏郎】のDVDを見た。他府県からもたくさんの参加者は彼の人徳。脚から腕に変えてはい上がってきた苦労をみじんも感じさせないのも男前。まわりに勇気、元気、パワーを与える指命が生きた証だと思う。世界のテッペンまではい上がれよ!

 ◆齊藤 哲也(さいとう・てつや)1959年(昭34)4月生まれの58歳。元競輪選手(兵庫支部)。45期生の卒業チャンピオンとして80年にデビュー。S級で活躍も40歳で悪性リンパ腫により、03年7月やむなく引退(優勝25回)。本紙予想コラムでは高配的中数知れず。アナ車券の達人!!兵庫県、S阪神のアドバイザーとしても活躍。現在もガン闘病中のカリスマ的患者。

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