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献血は究極のボランティア

[ 2014年3月6日 05:30 ]

 『哲ちゃん…どっか具合悪いんか?』。私のコラムが、おふざけ無しで終始、真面目だったりするとトタンにブリキ、決まって冒頭の質問攻撃を食らう。今回は、とっても希少ですが、アホキャラ封印で頑張るのだ!! 以前、このコラムで『アンパンマンのエキス』というお話を書いた。私は自分が凹たれそうな時、パソコン開いてこの動画を何十回と見てきた。

 りょうすけ君は1999年9月、小児がんで入院。奇しくも私が悪性リンパ腫で入院した病院・月日がまったく同じである。懸命の治療及ばず、10カ月頑張ったのち、お星様となった。その後ママは献血ルームを訪れ、落書き帳に献血者への感謝の言葉を綴(つづ)った。そして献血の大切さを訴えるブログを立ち上げる。それが反響を呼び、テレビ新広島でドキュメンタリー番組となった。【人生の長短に意味はない。りょうすけ星が世間に発信したメッセージの光は、夜空に散りばめられた星の中で燦然(さんぜん)と永遠に光り輝くことだろう】

 ≪アンパンマンのエキス(献血ルーム落書き帳の原文)≫私の4歳の長男は小児がんです。10カ月の闘病生活の末、亡くなってしまいました。その間、皆様の献血のおかげで安心して治療を受ける事ができました。あの子は輸血されると元気になる事を知っていて『アンパンマンのエキスだ~』と言っていました。

 一時は毎日のように輸血させて頂きました。輸血が必要な時『今足りないので待っていてください』と言われ、祈るような想いで待っていた事もありました。届いたときは本当に嬉しかったです。

 献血して頂きました皆様になんて、お礼を言ったらいいのか。ありがとう!ありがとう!医療スタッフと皆様のおかげで生きながらえる事ができて、どんなに≪ありがとう≫と言っても足りません。

 今でも病院では多くの子供たちが輸血を待っています。これからも献血をお願いします。もちろん私も来ます。子供たちの笑顔が消えませんようにと祈っています。

 私も自己末梢血幹細胞移植と骨髄移植の際、キツイ時は三日に一度のペースで輸血の多大なる恩恵を受けた一人でもある。

 街ゆく人たちは『事故した時などの緊急事態とか…』と大半はこう答え、その認識度は低い。献血で集められた血液の約90%は病気と闘う人たちに使われている。これだけ医学が発達した時代になっても血液は生きた細胞であるため人間の体内でしか造られずまた、輸血用血液は長期間保存できない。一日に必要な最低献血者数は日本全国で1万4000人である。

 この動画を観て心揺さぶれない人は0と信じたい。すぐ身近にあり簡単にできる究極のボランティア。『さぁ~みんなしてアンパンマンになろ~や!』ママはこうも綴っている『ねぇ、今、なにしてる?』今日も、お空にむかって…と。

 ◇齊藤 哲也(さいとう・てつや)1959年(昭34)4月生まれの54歳。元競輪選手(兵庫支部)。45期生の卒業チャンピオンとして80年にデビュー。S級で長らく活躍していたが40歳で悪性リンパ腫により、03年7月やむなく引退(優勝25回)。本紙予想コラムでは高配的中数知れず。アナ車券の達人!!兵庫県、サテライト阪神のアドバイザーとしても活躍。現在もガン闘病中14年のカリスマ的患者。

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