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内田浩司 かけがえのない心の友

[ 2014年1月1日 05:30 ]

 賀正!今年も俺のアホコラム&小銭でゲット大穴予想コラムよろしく!かれこれ10年やらしてもろてますけど元日掲載はなんとお初ですわ。鶴は千年亀は万年て気分。よーし、ほな襟を正して真しな気持ちでイキますわ~。

 新春1発目はワテのかけがえのない心の友、コウジと姫始めや(えっー?そーゆー仲なん?)。ありゃ?言うてるシリから襟折れてしもた。すまん、もとい!コウジで事始めですわ。

 内田浩司(51=福岡51期・A2)バレエ出身で今でも白鳥の湖を踊らせたら…て、なんでやねん!バレーボールから競輪選手へ(滝沢正光、清嶋彰一が有名です)。競輪学校入学時はドン尻の方だったが、デビューするやいなや開花。それは師匠・森山慎雄氏の指導の賜物ですと、その尊敬の念は忘れない(吉岡棯真とは同門で弟弟子)。そして中野浩一、井上茂徳、佐々木昭彦ら全盛期の頃の九州軍団の核弾頭役として大活躍。これまで432勝で34回優勝で、そのうち記念優勝は6回。

 感慨深いレースは今はなき地元門司記念の優勝。悔いの残るレースは日本選手権ダービー(平塚)。準決勝1着で優参。世界のナカノ氏を背に闘志パンパンで挑むも、スーパー新人・坂本勉に子供扱いされ大敗(優勝は俵信之)。敗者かく語りき「ロスの超特急は炭鉱電車より速かった…」。

 コウジは俺よりちょっと下なだけやからほぼ同世代。何回も一緒に走ってるはずやのに不思議とその記憶が俺にはない。俺は歯の立たん選手は覚えへんタイプやからやろ。同じ開催で会っても会釈するぐらいの顔見知り程度。当時の俺のコウジへのイメージは、若くしてハイセンス持った自在屋で剛より柔のタイプ。顔はスーパーマンのクラークケント。ていうか肩幅広かったからスーパーマンに変身する電話ボックスに似てたような(どんなたとえや~)。歳食うて一世風靡(ふうび)してたオーラが色あせてくると、今じゃくりぃーむしちゅーの有田か?(笑い)

 函館記念が終わった次の日、空港でコウジが俺に声をかけてきた。「その服かっちょいいですね!どこで買ったとですか?齊藤さんの噂は先輩から聞いちょります。昨日の夜はひょっとせんでも大暴れですか?」「これから内田君のことはミスタークエスチョンと呼ばせてもらうわ。夜?このビーチクは貝柱?って言うてしもてのぉ」「それってホメ言葉ですのん?」「ミスタークエスチョン君…みなまで聞きたいのん?」選手時代、コウジと唯一しゃべった記憶がこれである。

 後編は人間内田浩司。スッポンポンにして素晴らしい内面の魅力を紹介しよう。イヤ~ン、やっぱりそういう仲だったのね…。

 ◇齊藤 哲也(さいとう・てつや)1959年(昭34)4月生まれの54歳。元競輪選手(兵庫支部)。45期生の卒業チャンピオンとして80年にデビュー。S級で長らく活躍していたが40歳で悪性リンパ腫により、03年7月やむなく引退(優勝25回)。本紙予想コラムでは高配的中数知れず。アナ車券の達人!!兵庫県、サテライト阪神のアドバイザーとしても活躍。現在もガン闘病中14年のカリスマ的患者。

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