大阪桐蔭・西谷浩一監督 退部者の少なさと藤浪のハイチュウが物語る甲子園最多勝監督の人柄

[ 2024年3月28日 07:00 ]

第96回選抜高校野球大会第8日   大阪桐蔭4―2神村学園 ( 2024年3月27日    甲子園 )

<大阪桐蔭・神村学園>9回、ナインに指示を出す大阪桐蔭・西谷監督(撮影・北條 貴史)
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 27日の選抜2回戦で甲子園通算69勝目を挙げ、歴代単独最多に立った大阪桐蔭・西谷浩一監督。その要因として全国各地から優秀な選手を集める「スカウト力」がフォーカスされがちだが、どれだけ人を集めても、生かせなければ意味がない。つまるところ、最大の原動力は、西谷監督の「人間力」と見る。

 一つの指標となるのが退部者の少なさだ。大阪桐蔭には毎年20人前後が入部し、妥協のない厳しい練習、ライバルたちとの激しい競争の日々を過ごすが、故障・病気以外の退部者は「この20~30年で3人ほど」(関係者)という。選手個々の意欲と忍耐に加え、それをまとめあげる指揮官の器量あればこそだ。

 人望の厚さを物語る“風物詩”もある。年末年始の大阪桐蔭グラウンドにはプロ野球、社会人野球、大学野球に進んだ面々を始め、各界で活躍するOBたちが続々とあいさつに訪れる。毎年、西谷監督の好物であるスナック菓子「ベビースターラーメン」を差し入れることで知られる藤浪晋太郎(メッツ)は今年、趣向を変え、こちらも好物であるソフトキャンディ「ハイチュウ」を3万円分、差し入れたという。恩師を笑顔にするため、差し入れ一つにも工夫をこらす。歴代OBはみんな、卒業から何年たっても「西谷監督」が好きなのだ。

 自身は報徳学園3年夏、不祥事によって兵庫大会への出場辞退を余儀なくされた。それでも同級生たちが次々と退部する中、最後まで部活動を全うした。1浪で進学した関大ではブルペン捕手だったが、裏方としてチーム運営に尽力し、4年時には主将を任された。自身が「陰」を味わってきたからこそ、そのマネジメントは、全部員に日を当てることを心がける。部訓は「一球同心」。信条は「野球は9人でなくベンチ入りメンバーでもなく全員でやるのが一番強い」。個々に役割を与えることで、メンバー外の選手たちにも“居場所”をつくり、全部員の卒業後の進路も面倒を見る。「全員が大きな家族ですから」と話した時の、優しい目元が印象に残る。

 野球にも、教え子にも常に全力で向き合う人柄だから慕われる。懸命なスカウト活動で全国から優秀な選手たちを集めて鍛え、その人心を巧みに掌握し、用兵する名将。最多勝利記録更新も必然の結果と言える。(惟任 貴信)

 ◇西谷 浩一(にしたに・こういち)1969年(昭44)9月12日生まれ、兵庫県宝塚市出身の54歳。報徳学園では甲子園出場なし。関大で主将を務める。93年から大阪桐蔭でコーチを務め、98年秋に監督就任。08年夏の甲子園大会で優勝を果たし、12、18年には春夏連覇を達成した。

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