落合博満氏 中日監督就任で託された全権 コーチ招へいで自身に定めたルールとは

[ 2022年11月18日 17:10 ]

落合博満氏
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 現役時代に3冠王を3度獲得し、監督としては中日を4度のリーグ優勝に導いた落合博満氏(68)が18日、自身のYouTube「落合博満のオレ流チャンネル」を更新。2003年シーズン終了後に中日の監督に就任した当時を振り返った。

 中日は03年9月9日に山田久志監督の休養を発表。その後は佐々木恭介ヘッドコーチが指揮を執ったが、メディアでは、04年の新監督は1992年から95年半ばまで中日の指揮を執った高木守道氏の復帰が有力と報じられていた。その中で、当時の報道では、10月6日に落合氏に就任要請が届き、同8日には就任会見が行われた。一気に話は進んだ。

 交渉について「“権限は?”って言ったら、“もうお前に全部任す”っていうことで。“コーチもですか?”って言ったら、“コーチの人事から何から、球団は協力はするけども、口は出さない”っていうことでね。“じゃあこっちで決めますよ”って言うことで、ものの1週間もしないで全部決まっちゃったんじゃないかな」と振り返った。8日に監督就任が発表されてから1週間後の10月15日にスタッフが発表された。

 契約年数こそ球団提示の「2年」から、落合氏が「3年」を要望したが、それ以外で条件闘争はなかったという。「だって、全権任すって言うんだから。球団のフロントは一切口出しはしない、お前に全権任すって言うから、(それ以上)何をこっちで要望するの?」と落合氏は続けた。

 1週間で進めた組閣については「そこからコーチをどうするかっていうのを片っ端から電話して、みんなOKもらった」と話した落合氏。ただ、そこには自分の中でルールがあったという。「(その時点で)ユニホームを着てる人間には声はかけない。来年、そこの球団辞めてまでも、うちにきて仕事するっていうことだけは、それだけはやらないっていうことでね」と話した。

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2022年11月18日のニュース