人々の胸に刻まれる羽生結弦の「言葉」、鍵山「あの言葉をかけられた直後から…」

[ 2022年7月23日 05:30 ]

20年、四大陸選手権の表彰式で3位の鍵山と話をする優勝した羽生
Photo By スポニチ

 【緊急連載 羽生結弦のレガシー(4)】羽生は数々の名言を残してきた。「僕は言葉のプロじゃなくて、どちらかというと、スケートで表現したい」。自らのSNSアカウントは持っていない。発信の機会は限られていたが、自らの思いを率直に述べる言葉は多くの人の胸の中に刻まれている。

 試合でのインタビューだけでなく、節目でのコメントは多くの感動を呼んだ。コロナ下での20年4月には日本オリンピック委員会(JOC)の公式ツイッターで「真っ暗闇なトンネルの中で、希望の光を見いだすことはとても難しいと思います。でも、3・11の時の夜空のように、真っ暗だからこそ見える光があると信じています」と被災した東日本大震災の夜を引き合いに願った。

 21年3月11日、東日本大震災10年の節目では「痛みは、傷を教えてくれるもので、傷があるのは、あの日が在った証明なのだなと思います。あの日以前の全てが、在ったことの証だと思います」などとコメントを発表。震災を乗り越えようとする人々にエールを送った。

 その言葉で、多くのスケーターたちにも影響を残している。20年全日本選手権後の会見では、初の世界選手権に向けて控えめな意気込みを語る若手の鍵山優真(オリエンタルバイオ・中京大)にあえて語りかけた。「そういうのはいらないよ」。その理由について羽生は「自分の気持ちにウソをつこうとしていた。彼の強さは負けん気だったり、向上心だと思う」と語った。

 鍵山は22年北京五輪、21、22年世界選手権で銀メダル。トップを目指すと自信を持って述べることで、世界のスケーターたちと競い合うことができた。鍵山は、当時の羽生の言葉について振り返ったことがある。「あの言葉をかけられた直後から、自分のネガティブな気持ちが一切なくなった。本当の気持ち、上を目指している気持ちが凄く大事だと思った」。これは一つの例にすぎない。羽生が次世代のスケーターたちにまいた“種”は、いつか花を咲かせる。

続きを表示

2022年7月23日のニュース