追悼連載~「コービー激動の41年」その29 99年西地区決勝 奇跡の?合体

[ 2020年3月16日 09:22 ]

06年、メディアデーの撮影を終え、フィル・ジャクソン監督(右)と談笑するブライアント氏(AP)
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 【高柳昌弥のスポーツ・イン・USA】2000年6月4日の日曜日。場所は故コービー・ブライアント氏の葬儀が行われたレイカーズの本拠地、ステイプルズ・センターだった。プレーオフの西地区決勝の第7戦。レイカーズはトレイルブレイザーズとファイナル切符を争っていた。就任1年目のフィル・ジャクソン監督は、ここで生涯忘れられない試合を経験する。反対側のベンチにはブルズ時代に苦楽をともにしたスコッティー・ピッペンがいた。師弟関係は敵対関係に姿を変え、決戦は始まった。

 レギュラーシーズンでレイカーズは67勝15敗で、トレイルブレイザーズは59勝23敗。この数字がすべてならレイカーズが勝って当然のシリーズだった。しかし第6戦までの勝敗はレイカーズから見て〇●〇〇●●。王手をかけながら第5戦と第6戦を落とし、チームには嫌なムードが漂っていた。

 その悪い流れを最終第7戦でもひきずり、第3Q終盤でスコアは55―71。敗色濃厚だった。第4Qの残り10分でも15点差がついていた。

 しかしここからの10分間。レイカーズのファンは圧巻のショータイムを堪能する。主役はシャキール・オニールと、シーズンを通して反目しあっていたコービー・ブライアント。崖っ縁に立った2人はディフェンスで圧力をかけた。このクオーターのブレイザーズのフィールドゴール成功率は22%にまで低下。単に守っているのではなくボールを奪いに行こうとする意思を明確に見せ、頂上にたどり着こうとしていた相手を引きずり落としたのである。リバウンドを制し、強烈なブロックショットを2人は連発。流れは瞬く間に変わり、残り4分で75―75とついに同点。ピッペンは戸惑い、それまで好調だったスティーブ・スミスはシューティング・タッチを失った。ラシード・ウォーレスにいたっては2点を追う展開となっていた残り1分26秒になんとフリースローを2本ともミス。「GO・LA!」という歓声がアリーナに響き渡る中で勝者と敗者が入れ替わっていった。

 30得点を挙げたウォーレスがフリースローを外して我を失った直後、今度はブライアントがジャンプ・シュートを成功させて83―79。ピッペンが放った左45度からのシュートは入らない。リバウンドはオニール。そしてオニールからボールをもらったブライアントは速攻に出た。

 ブライアントはマークしてきたピッペンを引きつけると直後に浮き球をリング近くに向かって放った。そこに216センチ、143キロの巨大な物体「シャック」がランデブー。まさにどんぴしゃのアリウープだった。 

 残り時間41・3秒でスコアは85―79。オニールはこのあと両目をむくような表情を見せ、両手の人差し指を何度も突き出して歓喜のポーズを作った。「ちょっとパスが高く浮いたけれどシャックがうまく叩きこんでくれた」とブライアントが言えば、オニールは「コービーは凄いプレーヤーだ。アイコンタクトで動いたら、そこに正確にパスを通してきた。オレは簡単なシュートを決めただけだ」とお互いを絶賛。猛反撃の中核にいたのは、それまで犬猿の仲だったはずの背番号34と8だった。

 ピッペンは43分のプレータイムで12得点10リバウンドと彼なりに仕事はきっちりやっていたが、残り20秒にファウルゲームの犠牲者として6反則目をコールされて退場。コートを去るときには信じられないといった表情を浮かべ、ブルズ時代に同僚でもあったレイカーズのロン・ハーパーが歩み寄ってなぐさめるという場面もあった。しかしジャクソンは当然のことながら言葉をかけなかった。最大16点差、残り10分で15点差をひっくり返しての劇的な勝利。もちろん功労者はオニール(18得点9リバウンド)とブライアント(25得点11リバウンド7アシスト)だが、この2人を長い時間をかけてチームの中に溶け込ませたジャクソンの努力があってこその“奇跡”だった。(敬称略・続く)

 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には一昨年まで8年連続で出場。フルマラソンの自己ベストは2013年東京マラソンの4時間16分。昨年の北九州マラソンは4時間47分で完走。

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