レスリング 文田健一郎と太田忍 変わらない2人の約束と2つ分の金メダル

[ 2020年1月8日 09:30 ]

レスリング男子グレコローマンスタイル63キロ級の太田忍(右、ALSOK)と同60キロ級の文田健一郎(ミキハウス)
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 ライバル、先輩と後輩。2人の関係をありきたりに表現するならば、その言葉に集約されるのかもしれない。だが、レスリングのグレコローマンスタイル60キロ級で世界トップレベルの国内争いを繰り広げた文田健一郎(ミキハウス)と太田忍(ALSOK)の関係は、その単純なひと言では終わらせたくないものがあった。

 19年12月21日、リオデジャネイロ五輪銀メダリスト・太田の東京五輪への挑戦が終わった。主戦場の60キロ級は17年世界王者で日体大の後輩の文田に国内争いで敗れ、9月の世界選手権で東京五輪代表も決められていた。すぐに切り替え、67キロ級に階級を上げて臨んだ全日本選手権。五輪出場につなげるにはタイトルが必要だった中、初戦でまさかのテクニカルフォール負けを喫した。太田忍と初戦敗退という、何よりも似つかわしくない言葉の組み合わせが、よりにもよって五輪代表の選考大会の場で並んだ。

 「ああ、こんな終わり方もするんだなって。1回戦負けなんか本当に人生で経験したことないから。こういうこともあるんですね。20年やってきて、ここで」

 日本レスリング界の軽量級では、世界を制するより国内大会を勝ち抜く方が難しい、という状況がしばしば見られる。東京五輪に向けて勝った負けたを繰り返してきた太田と文田も、取材の場では何度となく互いのことを聞かれた。6月に後輩が世界選手権出場を決めた時、太田は言った。「負けろと思っています。自分が出たいから」。嫌味のないストレートな物言いは、文田がその世界選手権で決勝進出を決めて五輪切符を手にした時も変わらなかった。「60はもうお前しかいけないから、応援するわ」。

 その瞬間から、2人の関係は一つの区切りを迎えた。決勝のロシア選手と対戦経験があった太田は対策方法を惜しみなく伝えた。帰国後は、後輩にローリング(寝技)のアドバイスを求め、文田も太田の得意技であるがぶり返しの技術を聞いた。それまでは当然、隠してきたことだ。文田はどこか寂しそうに苦笑しながら「もう競い合うことはなくなった。2人の関係が一つ終わったなと感じました」とつぶやいた。

 文田は誰よりも太田忍というレスリング選手を意識して見てきた。だからこそ、技をかけることができずに敗戦した全日本の戦いぶりを見て「すごいショックだった」と吐露した。「忍先輩は今まで見てきた中で強いレスリングを人物化したような人で、アクロバットな技で劣勢を返して自分の技で試合に勝利する印象が強かったので。良く分からない気持ちになりましたね」。太田に対して「肩入れはしない」と言ったが、その表情は複雑そうだった。

 太田は敗戦後、自身のレスリングをさばさばと振り返った一方で、周囲の人間、そして文田のことを問われると静かに涙を流した。「彼が僕と一緒に五輪で金メダルを獲りたいと言ってくれたことが凄くうれしくて、僕はそれを達成したいとやってきた。こんな形で約束を果たせなかったことが情けない」。ともに金メダルを獲った世界選手権後、文田が「本当は僕の立場から言われたくないだろうな」と思いながらも口にした本心からの言葉を、太田はまっすぐに受け取って大事にしていた。

 文田の言葉を借りると、「なぜ被ってしまったのか」と思う。同世代で同階級の、2人の天才。

 「僕が頑張れとか言わなくても健一郎は東京で金を獲ってくれる」。

 「それで忍先輩が報われるとは思わないけど、金を必ず獲らなきゃいけないと思う」。

 数は一つになったが、変わらない2人の約束と2つ分の金メダルを東京で見届けたい。 (記者コラム・鳥原 有華)

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2020年1月8日のニュース