車いすラグビー・池透暢、亡き友への思い胸に全力トライ 香取慎吾、壁にぶつかったら「やり続けるだけ」

[ 2019年8月28日 13:00 ]

車いすラグビー・池透暢×香取慎吾 対談

東京パラリンピックへの思いを語り合った車いすラグビー日本代表主将の池(左)と香取慎吾(撮影・小海途 良幹)
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 東京パラリンピック開幕まで1年。最も注目を 浴びる競技の一つが昨夏の世界選手権で金メダルを獲得した「車いすラグビー」。唯一、車いす同士の意図的タックルが許されかつて「マーダーボール(殺人球技)」とも呼ばれた激しい競技だ。その中心選手の池透暢(いけ・ゆきのぶ)主将(39)と日本財団パラリンピックサポートセンターのスペシャルサポーターを務める香取慎吾(42)との初対談が実現。物凄いタックルと池選手 の分厚く温かい人柄に触れ、パラリンピック全力 応援を改めて誓う慎吾ちゃんだった。 (取材・構成 スポーツ部・首藤 昌史、河 西 崇 文化社会部・安田健二)

 ◆健常者と対等

 ――お二人は初対面ですね。

 池 初めまして。車いすラグビーを経験したことはありますか。

 香取 昨年、取材で体験しました。

 ――香取さんは複数のパラスポーツを経験されています。車いすラグビーの魅力は?

 香取 やっぱり激しさ。そもそも、車いすってぶつかったらダメという感覚じゃないですか。

 池 だいたい「大丈夫なの?」って言われます(笑い)。

 香取 やっちゃいけないことって、楽しいんですよね。興味も湧くし、そこが一番の魅力だと思います。

 池 健常者でもこの競技では、障がいのある人に思い切りぶつかって倒していいんですよ。そんな競技ってありますか?

 香取 ないですね(笑い)。

 池 倒されても倒してもいい。コートの中では対等。ルール内でやれば間違いなく楽しい競技なんです。

 香取 車いす同士でぶつかった時のあの激しい音とかね。

 池 そこの非日常感は体験しなきゃ分からない。

 ――では早速、香取さんにタックルを受けてもらいましょうか。

 香取 え~。僕は経験済みですよ(苦笑い)。

 池 実は僕、タックル弱いんですよ。

 香取 本当ですか?それ絶対、前フリでしょ。

 池 僕は足が曲がらないので、本当はもっと低い車いすの方がスピードが出るんです。ただ、それにこだわると長い車いすになるからターンがしにくくなって、敵をかわす時に邪魔になる。だから、パフォーマンスを生かせるギリギリの高さに設定してやってます。では行きますよ!

 ――グワシャーン!!って凄い音がアリーナに響きました。

 香取 …。体に悪いですよ。

 池 ハハハ。タックルを受けたことは?

 香取 ありますよ!初めての時に「試合してみましょう」って言われて、この場所で試合したんですもん。しかも、「みんなで僕にぶつかってください」って言うんだから。もう意味が分からない。

 池 めちゃめちゃ楽しい経験ですね。パスもしてみましょうか。

 香取 はい。

 ――2人の流れるようなパスワークに驚きました。

 池 まだ顔がこわごわしてますよ。この競技を楽しむことができたら、香取さんはめちゃめちゃセンスありますよ。

 香取 車いすを操作しながら、キャッチして投げる。この忙しさが楽しいですね。そういえば手にボールを持ったままというのはルール上、ダメなんですか。

 池 10秒以内にドリブルするか誰かにパスをすればOKです。

 香取 じゃあ、プレーが始まって1人でボールを持って得点することもできる。

 池 そうです。香取さんぐらい体格があれば、当たってくる相手全員を蹴散らしてゴールできますよ。では、今度は僕にタックルしてみてください。

 ――再びグワシャーン!!と大きな衝撃音が響きました。

 香取 衝撃が全然違う。当たる方が平気ですね。

 ◆バスケから転身

 ――池選手と車いすラグビーの出合いは。

 池 ロンドンパラ大会をテレビで見ていたら、車いすラグビーで日本がアメリカと3、4位争いをしていたんです。その5年ほど前から「やらないか」と声を掛けてもらっていたけど、バスケをやっていたので断り続けていました。でも、白熱した試合を見て、世界でメダル争いをすることに感動して「この舞台で輝きたい」という思いが芽生えました。

 香取 バスケからの転身に不安はなかったんですか。

 池 バスケは手に障がいがありながら、いろんな工夫をしてやっていました。でも、自分を高めたくても高められない次元までそろそろ来ていると感じている時期で。車いすラグビーであれば、障がいや10年ぐらいのバスケ経験全てを生かせられると思ったんです。

 ――香取さんは壁にぶつかった時にどう乗り越えてきましたか。

 香取 何だろうな。やり続けるだけですかね。

 池 そういう時期って、やっぱりありますよね。せき止めされてるダムにぶつかる経験って人生に一度二度はある。

 香取 うん。

 池 僕の場合はそれが事故でした。これを乗り越えるために、たくさんの経験があって壁を上ることができました。

 香取 どういう事故だったんですか。

 池 友人と車に乗っていて道路の街路樹にぶつかったんです。車が燃えてなかなか逃げ出せず、全身の75%をやけどしました。

 香取 (池選手のやけど痕を見て)本当だ。何歳で事故にあったんですか。

 池 19歳です。最初、一緒に乗っていた友人のことを聞かされてなかったんです。

 香取 えっ…。

 池 病院で「みんな大丈夫」って聞いたら「みんな頑張ってる」って。それから3、4カ月たった時でした。痛みやつらさに耐えられなくなって両親に「みんな大丈夫か」と尋ねて、友人3人が亡くなっていたことを知りました。涙がぼろぼろこぼれました。

 香取 そこからは。

 池 友人とそのご両親のことを考えたんです。友人たちが生きた証を、自分がはいつくばってでも生きることで受け継いでいかなければいけない、と。それから、嵐のようにぐちゃぐちゃだった心が晴れました。

 香取 スポーツしようって思えたのはいつごろですか。

 池 20歳になってからです。入院して1年ぐらいたった時だと思います。

 香取 早いですね。もうちょっと絶望の時期が長くてもおかしくないくらいの出来事なのかなと思いました。

 池 周りに恵まれました。2年半入院して40回ぐらい手術したんですが、その合間にたくさんの友達が見舞いに来てくれました。成人式の日には40人ぐらい病棟に。いろんな人の話を聞いて助けられました。

 香取 車いすバスケットに出合ったのも人に恵まれたからですか。

 池 何か打ち込めるものがないかなとずっと探している時、病院の外を散歩していたら、たまたま中学校のバスケット時代の恩師が通りがかったんです。そうしたら「車いすバスケットでパラリンピック目指してみないか」と言われて。

 香取 それは凄い出合いですね。

 池 満足にできる状態じゃなかったけど、一歩踏み出してみました。実際やってみたら、「手も折れるだろうし、生活がままならなくなる。健康的なものを探した方がいい」と忠告されたんです。その通りだと思った半面、やっと見つけた目標を「ダメだ」と言われたのが悔しくて。

 香取 そうでしたか。

 ◆ロンドンで感動

 池 10年続けて日本代表候補までいきましたが、ロンドンパラの日本代表には選ばれませんでした。日本が9位に終わり悔しい思いをしていた時、テレビで車いすラグビーを見ました。自分と同じ障がいのある人たちが世界に挑戦する姿に感動して、もう一度目指す場所を見つけたという感じでしたね。

 香取 当時の日本代表の活躍はニュースでよく見ていました。ロンドン大会は凄く大きい出来事でした。今まで見たことのなかった車いす競技のニュースが、毎日のように扱われていたのを覚えています。

 池 本当、その頃から変わってきました。ただ、認知度はまだ低くリオパラで銅メダルを獲って注目してもらい、昨年の世界一を獲ったことでさらに関心は高まったと思います。東京パラに向けてもっと魅力を伝えていきたい。

 ◆香取 慎吾(かとり・しんご)1977年(昭52)1月31日生まれ、神奈川県出身の42歳。88年にSMAPを結成し、91年にデビュー。その後「夜空ノムコウ」「世界に一つだけの花」などヒット曲を出し国民的グループとなった。00年には“慎吾ママ”名義の「慎吾ママのおはロック」がミリオン達成。04年にNHK大河ドラマ「新選組!」に主演。17年から「新しい地図」として活動。18年にパリで初の個展を開催した。血液型A。

 ◆池 透暢(いけ・ゆきのぶ)1980年(昭55)7月21日生まれ、高知市出身の39歳。19歳の時、交通事故に遭い、大やけどを負って左足を切断、左腕がまひする。03年から車いすバスケを始め、13年に車いすラグビーに転向し代表入り。15年から主将としてチームをけん引する。18年11月から19年3月まで米国リーグでプレーした。日興アセットマネジメント所属。持ち点は3・0。1メートル63、63キロ。

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