瀬立モニカ 夏冬“二刀流”の夢 18年平昌経由20年東京金メダル

[ 2016年10月25日 11:15 ]

地元の旧中川で20年東京パラリンピックでの活躍、メダルを誓う瀬立モニカ
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 初出場のリオデジャネイロ・パラリンピックで、カヌー女子カヤックシングル8位だった瀬立モニカ(18=筑波大1年)は早くも20年東京大会へ向けて動きだした。4年後のメダル獲得を目標に、五輪後も休まずにレースに出場。今冬はアスリートとしてのさらなる成長を求めてクロスカントリースキーに取り組む。そして18年平昌(ピョンチャン)冬季パラリンピックを目指す野望も明かした。

 リオで8位に終わったレース直後は涙に暮れた。決勝の舞台に立ったうれしさと最下位に沈んだ悔しさ。両方が入り交じった。あれから1カ月。瀬立は「今は悔しい方が大きいですね」とはっきり言う。

 パラリンピックのメダリストたちは今月7日に五輪メダリストとの合同パレードに参加し、銀座で80万人から祝福された。「メダルを獲った選手と獲らなかった選手では、はっきり分けられる。テレビでパレードを見ると、あの人たちと一緒になりたいという気持ちになった。20年に向けて戦う覚悟ができました」。4年後のメダル獲得という目標が、より明確になった。

 東京・宝仙学園高1年の13年6月、体育の授業中の事故が原因で車いす生活となった。4カ月の入院中に20年東京大会の開催が決まったが、スポーツができるなどとは考えられなかったという。

 江東区立深川一中時代に同区が設立した合同カヌー部に所属していた。その縁で、高2の6月、江東区カヌー協会の関係者にパラカヌーを誘われた。最初は「こんな体でできません」と断っていたが、熱心に勧誘され「(川に)落ちるところを見せて、断ろうと思った」と軽い気持ちで練習場に行った。ところが、思いのほかうまくカヌーに乗れた。「自分にもできるんだ」。体を動かす喜びに再び目覚めた。

 幼い頃から水泳に親しみ、中学時代はバスケットボール部にも所属しており、もともと運動神経は抜群。すぐに頭角を現した。今年5月にドイツで行われたパラリンピック最終予選会では当初11位で上位10人までに与えられる出場権を逃したと思っていたが、後日失格者が出て繰り上がりで切符を手にした。

 パラリンピックのことは「言い方は悪いけれど、リハビリの延長線でしょう」と甘く考えていた。だが、出場してその考えは大きく変わった。決勝では7位に5秒以上の差をつけられる断然の最下位。「思っていた以上に差が大きかった。海外の選手は5月の予選会から2倍、3倍にパワーアップしていた。凄い人がたくさんいた」。そこはアスリートが4年間の全てを注ぐ真剣勝負の舞台だった。

 レース以外も刺激に満ちていた。開会式では入場の際にスタンド全体から大歓声を浴び「最高でした。こんな世界があるのか、と」と興奮で心が震えた。選手村で出会った他国の選手には驚かされた。「日本人と違って、みんな自分が大好きで、自分に自信を持っている。髪形を格好良くキメて、きょうの俺どう?って聞いてくる選手もいました。まずは自分を好きになることから始めないといけない」と前向きな気持ちをもらった。今はパラリンピックを「凄いところ」と表現する。

 リオから帰国して4日後にはウズベキスタンに向かった。パラカヌーはまだ国内外合わせて年間3、4つの大会しかない。「試合経験を踏むことが大切」とアジア選手権に出場して優勝した。すでに気持ちは20年東京大会へ向いている。

 取り組むべき課題は山積みだ。一般的にカヌーではパドルを入れた側に体重を乗せると推進力が増すが、腹筋から下に力が入らない瀬立は上体が倒れるのを恐れて逆方向に体重をかけてしまう。力は逃げ、パドルは水中浅くしか入らない。リオのように風や波のある会場では特にスピードが出ない。「世界のトップは体の軸がしっかりしている。こぎ方を変えないといけない」とトレーニングとシートなど装具の工夫で、技術改良を目指していく。

 体力トレーニングはこれまではケガする前の体に戻すことが主目的だったが、今後は競技用の体づくりに励む。そのために、この冬は他競技にも挑戦する。「クロスカントリーをやります」。本格的に座位で行うシットスキーに取り組み、上半身と体幹を鍛える。昨冬も日本障がい者スキー連盟から誘いを受けて競技会に参加していた。「あわよくば平昌に行きたい」と18年冬季パラリンピック出場も狙っていく。

 パラ競技を始めてまだ2年。18歳ののびしろはたっぷりある。海外では夏冬二刀流は珍しくない。大学生活を送りながらの超ハード日程も覚悟している。4年後へ向け「銅メダルを目指して金メダルは獲れない。金メダルを目指します」と力強く誓う瀬立。表彰台の真ん中に続くルートと信じて、平昌経由で東京に挑んでいく。

 ◆瀬立モニカ(せりゅう・もにか)

 ☆生まれ 1997年(平9)11月17日、東京都江東区生まれ。

 ☆名前の由来 「モニカ」は母・キヌ子さんのクリスチャンネーム。キヌ子さんは「海外でもすぐ覚えてもらえるように。(“モニカ”でデビューした)吉川晃司が好きだからではないですよ」。

 ☆練習 月~金曜日は筑波大で寮生活し、水泳やウエートトレーニング。土、日は東京都江東区の自宅に帰り、旧中川でカヌーに乗る。東京―筑波間はマイカーで移動している。

 ☆好きな食べ物 栗蒸しようかん。「栗が好き。最近ハマってます」

 ☆好きな異性のタイプ 「優しい人。私をお姫さま抱っこしてくれる人」

 ☆サイズ 1メートル65.5、55キロ。

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