自ら由を見いだしてこそ…平尾誠二さんが残した言葉

[ 2016年10月25日 08:30 ]

1995年1月8日、社会人ラグビー決勝で後半にドロップゴールを決めガッツポーズで喜ぶ神戸製鋼の平尾氏
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 【鈴木誠治の我田引用】「ミスターラグビー」と呼ばれた平尾誠二さんが、10月20日に亡くなった。53歳はあまりに早すぎて、悲しさより、いまだに信じたくないという思いが強い。将来のラグビー界のため、スポーツ界のために、多くの可能性を持っていた人だけに、喪失感はとてつもなく大きい。

 その平尾さんを1度だけ、単独でインタビューしたことがある。その中に、常に時代を先んじた革新性をうかがわせる言葉がある。紹介したい。


 (神戸製鋼の革新的なチームカラーについて)ちょうど僕らの時はバブルの時代で、まあ、個人が浮かれるという感じですよ。ただね、浮かれる個人を抑圧するんじゃなくて、浮かれた力をどう使うか。その力を吸収せずにチームをつくるんじゃなくて、個人の動きの不規則なものを、うまく一つに束ねていったところがあってね。比較的、緩い拘束力のなかで、それぞれが活動する。そうすることで、すごく個人の満足感を高めたと思うんですよね。

 投げ手と捕り手がいるとするなら、それまでは、捕り手が投げ手に「ここに投げろ」と言っていた時代。神戸製鋼は、投げ手と捕り手の関係性が変わった。投げ手は、空いていると思ったらパスを放れ、そこに捕り手が行けと。だから、非常に自由奔放さと、柔軟性と、しなやかさが交じった感じに、スタイルが変わったんですね。


 平尾さんは、インタビューの中で「理想」という言葉を一度も使わなかった。「セオリーはない」とも言った。「勝たなければダメ」とも話した。現実と向き合い、非常に柔軟な発想で、その現実を最も生かす方法を考える。それを実行する強い意志と、リーダーシップも持っていた。

 この魅力的な人の根底にあったのではないかと思わせる言葉が、2012年の毎日新聞の記事に出ている。


 自ら由(手だて)を見いだしてこそ、今の自分が在る。外圧的なもので行動を起こしていたのが、かつての日本だった。内発という、自分の意志によって自らを高められるか。こんな豊かな時代だからこそ、必要なのは、目に見えない戦闘意欲ではないでしょうか。


 自由自在。平尾さんが好きだった言葉だ。

 それほど強い意志を持つ人が、先のインタビューでは、人生に対するこんな考え方を披露している。背景には、同志社大卒業後のイギリス留学中に、ファッション誌の表紙に写真が載ったことがアマチュア規定違反と指摘され、中途で帰国せざるを得なくなったことがある。留学後はラグビーを引退し、アパレル関係の仕事をするはずだった。


 人生ってのは思うようにはいかんけど、面白いですね。まさに、ラグビーボールみたいな世界ですよ。意図した通りにいくのが、面白いとも限らない。思いもよらんことが起こって、一生懸命、対処してると、意図したものより素晴らしい絵が描ける。そういう経験ができたのは素晴らしかった。


 ラグビーボールは、楕円球という形状から多くのドラマを生む。だが、今回のような転がり方だけは、してほしくなかった。平尾さんはまだ、我々には必要な人だった。

 ◆鈴木 誠治(すずき・せいじ)1966年、静岡県浜松市生まれ。立大卒。ボクシング、ラグビー、サッカー、五輪を担当。軟式野球をしていたが、ボクシングおたくとしてスポニチに入社し、現在はバドミントンに熱中。

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