石橋凌 ミュージシャンから俳優へ きっかけとなった松田優作さんとの交流 殴られる覚悟で放った言葉

[ 2022年11月25日 15:26 ]

石橋凌
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 俳優でミュージシャンの石橋凌(65)が25日、文化放送「くにまる食堂」(月~金曜前11・00)に生出演。俳優としての活動をスタートさせるきっかけとなった名優・松田優作さん(享年40)との交流を明かした。

 石橋はロックバンド「ARB」のボーカルとして1978年にレコードデビュー。のちに、アイドルグループとして売り出そうとしていた事務所との方向性の違いで、独立するも、レコードの売れ行きやコンサートの動員に悩んでいたといい、「思うところがありまして、もう音楽を辞めて、田舎に帰ろうと思ってたところに出会ったのは松田優作さんだった」と明かした。

 俳優の原田芳雄さん(享年71)のお宅で毎年行われている新年会、忘年会だったといい、「ある時、行った時に優作さんが見えてるっていう声がどこから聞こえてきて。その時に直観的だったんです。“今、自分が抱えている問題を相談できるのはこの方だ!”と思いまして、優作さんが飲んでいる前に行きまして、正座をして、“石橋と言いますが、相談に乗ってもらえませんか?”っていうことで、(交流は)そこからです」と話した。

 優作さんはそれまで親交がなかった石橋にも「なんだ?」と話を聞いてくれたそうで「いろいろと悩んでいます」と話した石橋に「わかった、いついつ、うちに来なさい!」と声をかけてくれたといい、それまでのレコードやCD、DVDなどを持参し、優作さん宅を訪問したという。「それまでの経緯を全部」話したといい、ずっと腕を組んで聞いていた優作さんはそんな石橋に「分かった。ただ、お前のやってきたことは間違っていないと思うよ。ただ、日本は欧米のようにプロデューサーシステムは確率されていないので、セルフプロデュースで行くしかない。ここに、目の前に槌がある、そこに穴を掘って、種を植えて水をあげる、目が出てきたら、ちゃんと育む。また次の年も穴を掘って種を植えて水をあげる。これをやるしかないんだ。これを手を抜かないでやっていると、絶対にどこ見ている人がいる。その人は近づいてきたときに弾ければいいじゃないか!」とアドバイスをくれたという。「その話を聞いた時に、ものすごく気が楽になったんです。帰り際に(優作さんは)“お前にいる音楽のメディアより、俺がいる映画の世界のほうがメディアが大きいから、いつかお前は映画で名前と顔を売れ!”っておっしゃったんです」と振り返った。

 「その日はお暇したんですけど、その半年後に呼ばれた時に、優作さんが監督されることになった『ア・ホーマンス』っていう、映画の台本をありまして“これをやれ!”とおっしゃったんです。パラッと見たら、ものすごい大きい役だったんです」と石橋。「本格的な作品は初めてなので」と困惑したというが、優作さんは「お前はできないんだから芝居はするなと、ただミュージシャンで培ってきた、ニュアンスだとかフィーリングを現場で出せ。それを俺が全部拾うから」と言ってくれたそうで「その時に“じゃあ、音楽…バンドを、茶の間に売るための宣伝でいいですか?”って言ったんです、殴られるのを覚悟で」と苦笑。「3~4秒間があった。いよいよパンチが飛んでくる…と思ったら、ニコッと笑って“まあ、それでいいよ!”ってことで、お受けしました」と懐かしんだ。

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2022年11月25日のニュース