宮本亜門氏 高校時代の引きこもりが“原点”「大きな振り子のように時を刻みたい」

[ 2017年2月19日 09:45 ]

俺の顔 宮本亜門氏(上)

少年のように笑顔はじける宮本亜門氏
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 演出家デビュー30年を迎えた宮本亜門氏(59)。ミュージカル、オペラ、歌舞伎まで幅広く手掛ける売れっ子の原点は、高校時代に1年間引きこもりになったこと。舞台で偉業を成し遂げるだけでなく、米中枢同時テロに遭遇するなど波乱に満ちた人生も、当時、「大胆な人生を歩みたい」と願った通りだ。3年後に東京五輪を控え、その目はニッポンを演出することに向いている。

 演出家といえば故蜷川幸雄さんをはじめ、いかつい顔で怖いイメージだが、亜門氏は物腰柔らかく笑みが絶えない。29歳で演出家デビューした当初は「この童顔でニコニコしているので、周りからは“最も演出家にふさわしくない男。人に指示できないんじゃないか”とさんざん言われました」と朗らかに振り返った。

 生家は東京・新橋演舞場の向かいの喫茶店。母は松竹歌劇団の元ダンサーで、連日劇場に通い、舞台の素晴らしさに触れて育った。高校時代に1年間引きこもりになり、部屋でレコードに没頭。音楽からイメージを膨らませ、演出家を志すようになった。「学校でレールに乗っていたら、インプットをしたり、ロケットでいう発射台を作ることができなかった。つらかったけど、あの時期がなかったら演出家になれなかったので、引きこもりに感謝しています」

 04年にミュージカル「太平洋序曲」で東洋人演出家で初めてブロードウェーに進出し、米演劇界で最も権威があるトニー賞4部門で候補になる快挙。一方、米国公演のためニューヨークにいた01年には列車内で米中枢同時テロに遭遇し、タイでは交通事故で大ケガを負った。公演を巡るトラブルは数え切れず、台湾で5月に上演予定だったミュージカル「海角七号」は、準備に2年近くの年月をかけてきたが、プロデューサーが製作費を工面できなくなり、つい最近中止が決まった。「そういうことがあるたびに自問自答するのは、それでも演出を続けるのかということ。痛みを伴わないと生まれないものもあることは、演出をやりながら学びました」

 ジェットコースターのような起伏の激しい人生は、高校時代の“お願い”がきいている。「あまりにも学校のみんながふわっと生きてる気がして、“同じ時を刻むなら、僕は腕時計のようにカチカチではなく、大きな振り子時計のように刻みたい”って神様にお願いしたんです。それが悪かったのかな。振り子が激しすぎちゃって、あのとき言わなきゃよかったと何回か後悔しています」

 ◆宮本 亜門(みやもと・あもん)1958年(昭33)1月4日生まれ、東京都出身の59歳。玉川大学文学部芸術学科中退後、ダンサー、振付師となり、ニューヨークやロンドンに留学。帰国後の87年にオリジナルミュージカル「アイ・ガット・マーマン」を手掛け大ヒット。翌年、文化庁芸術祭賞を受賞した。93年にネスカフェ「ゴールドブレンド」のCMに「違いがわかる男」として出演し脚光を浴びた。98年、映画「BEAT」で監督デビュー。犬猫殺処分ゼロの活動にも力を入れている。

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