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【内田雅也の追球】「沖縄」という原点 いま思い返したいのは希望に燃えていたキャンプの日々

[ 2022年5月14日 08:00 ]

1972年5月15日、本土復帰を祝う横断幕が見える那覇市の国際通り。車両はまだ右側通行だった
Photo By 共同

 その日の朝、4年A組担任の鈴木彰二先生が「1都1道2府43県と覚えましょう」と話したのを覚えている。ドッジボールで一緒に遊んでくれた先生だった。みんなで「1都1道……」と復唱してそらんじた。それまでは「42県」だった。沖縄県が誕生した日だ。

 1972(昭和47)年5月15日、月曜日、米軍統治下にあった沖縄が本土復帰を果たした日だ。あすで50年を迎える。

 その年の夏、宮崎との南九州大会を勝ち抜き、甲子園大会に出場した沖縄代表・名護高の平安山主将は復帰記念で開会式の選手宣誓を任された。「沖縄県立と叫べるのがうれしい」と話していた。「今までは琉球政府立でしたから」。夏休みの自由研究で高校野球記事を帳面に切り貼りして出した。当時のスポニチ記事で先輩記者・下村卓さんのコラムにあった。

 横浜遠征中の阪神はDeNA戦が雨で中止となった。2日続けて試合がなかった。こんな時は自分を見つめ直したい。

 「雨の日は、しんみりものを考えるにはもってこい。人間にはそんな日が必要なのだ」と『アルプスの少女ハイジ』でハイジの祖父、アルムおんじも話している。

 50年の節目を前に、沖縄を思い、考えたい。阪神にとっても2003年以降毎年、宜野座村でキャンプを張っている沖縄である。プロ野球の元日と呼ばれるキャンプインを迎える原点である。

 今年2月19日付の当欄で『劇映画 沖縄』のことを書いた。第1部「一坪たりともわたすまい」と第2部「怒りの島」で休憩をはさみ3時間18分の長編。公開は復帰2年前の70年で、故郷を奪われた人々の抵抗と苦悩、怒りが描かれている。

 選手たちは歴史を知るべきだ。練習場所を提供され、地元の理解や協力を受けている沖縄のことを考えてみる。そんなことで野球がうまくなるのか?という問いには、なる!と答えたい。

 昔があり今がある。先人がいて自分がある。人生を映す野球ならばなおのことである。

 今年は、沖縄キャンプイン前日に矢野燿大監督が「今季限りで退任する」と公表した。その是非は問わない。最下位に沈むいま、思い返したいのは希望に燃えていた沖縄の日々である。雨音を聞きながら「沖縄」を思う。それだけでも意味がある。(編集委員)

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