【内田雅也の追球】「別れの日」に輝いた汗と涙と金 一丸の侍たちが目指したメダルの先

[ 2021年8月8日 08:00 ]

東京五輪第16日 野球決勝   日本2―0米国 ( 2021年8月7日    横浜スタジアム )

金メダル決定の瞬間、抱き合い歓喜する侍JAPANのメンバー(AP)
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 熱帯夜に輝いたのは汗と涙と、そして金色のメダルだった。

 8月7日は日本野球の記念日だ。公開競技だった1984年五輪でドジャースタジアムに日の丸を掲げた日だ。正式競技となり、多くの野球人が挑んでは果たせなかった悲願だ。そんな汗と涙が美しく、輝いていた。

 侍たちは期待と重圧のなか仕事を果たした。トッププロの仕事だった。

 たとえば1―0の8回表、無死一塁で登板した岩崎優の胸元に流れる汗を見ただろうか。米国の3、4、5番を切り、無失点でしのいだ。

 ピンチの後にチャンスあり、は日本野球の定説だ。その裏、無死一塁で坂本勇人が初球でバントを決め、吉田正尚が中前に運び、悪送球もあって貴重な追加点を奪った。

 同じ無死一塁だった8回の攻防が明暗を分けた。一つの焦点だった。

 <決勝は別れの日だ>と野球殿堂入りした鈴木美嶺が書いている。毎日新聞の都市対抗野球のコラム『黒獅子の目』にあった。補強制度がある都市対抗は混成チームで戦う。<生い立ち、境遇、年齢、人生観。それぞれ違うひとたちが、都市のため、チームのため、自分のため、白球を追って、くる夏もくる夏も全精根を傾ける。それだけになお決勝は残酷だ>。

 侍ジャパンの日本代表もプロの混成チームだ。名誉や誇りをかける姿勢が似ている。

 監督に就いて4年、稲葉篤紀がテーマに掲げていたのは「結束」だった。毎試合、ベンチ前で円陣が組まれ、誰かが「声出し」する。様子がSNSで発信されている。この日は坂本で「今日は決勝です。どんな結果になっても胸を張っていましょう」と言った。いい言葉だった。全精魂を傾ける覚悟が見えた。

 メダルを逃した2008年北京五輪の序盤、1984年五輪金メダル監督の松永怜一が法大教え子でコーチの田淵幸一に国際電話し「ベンチで声を出している選手が少ない」と、一丸姿勢の欠如を指摘したそうだ。

 今は違う。先発5回無失点で役目を終えた森下暢仁が最前列で声をあげていた。

 また、北京で敗れたとき、韓国には兵役免除の恩恵がある、米国などには大リーグ昇格へのアピールの場となっている……などとモチベーションを問題視する声があった。日本にはメダルの向こう側に何があるのか、というわけである。

 野球を世界に広めたい、晴れ姿を子どもたちに見せたい……で十分奮い立つではないか。アテネ五輪アジア予選を突破、本戦出場を決めたとき、監督だった長嶋茂雄が選手たちに言った「野球の伝道師たれ」を思い出したい。

 別れの日だった。汗と涙のなか、そんな伝道師たちの笑顔が光っていた。 =敬称略= (編集委員)

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