【内田雅也の追球】「心に鞭」を入れる――高倉健に見るプロ 阪神選手が持ちたい「己」

[ 2021年2月16日 08:00 ]

東筑高の後輩、オリックス・仰木彬監督と対談した高倉健(1996年11月1日、なかまハーモニーホール落成式)
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 ウチナーグチ(沖縄方言)の「なかゆくい」は中休み、休憩の意味だ。ゆっくり、ゆったりとした語感がいい。

 阪神キャンプはなかゆくいだった。ちょうど中間の折り返し点の休日である。選手たちは疲れた心身を休めたことだろう。休める時に休むのも重要な仕事である。

 <沖縄が好きで、仕事が終わった後、よく西表島や石垣島に旅に出ます>と俳優・高倉健が『旅の途中で』(新潮社)に書いている。エッセー集で、ニッポン放送のラジオで語った言葉をまとめたものらしい。映画『鉄道員(ぽっぽや)』撮影後も石垣島に飛んだ。プロとして大切な、なかゆくいだったのだろう。

 きょう16日は2014年に没した高倉生誕の日である。生きていれば卒寿90歳だった。

 同書に作家・丸山健二が贈った『それが高倉健という男ではないのか』が収められている。もとは高倉の写真集に添えた文章だった。

 <好きとか嫌いとかを尺度にして仕事をするのではなく、やるかやらないかを問題にするのであって、やると決め、引き受けたからには持てる力を惜しげもなく注ぎこみ、奮闘する>。それが高倉健というわけだ。プロとしての姿勢が並び<それが高倉健>と続く。

 「これは」と思ったのは<いわゆる“スターさん”>との違いだ。高倉は“スター”だった。

 <毎夜銀座をうろつかなければ(中略)取り巻き相手にわめき散らしていなければ、安心できないというのが“スターさん”>で<仕事をすませた途端に素早く自分に戻れるのが“スター”>。

 そのため<己を見失うことなく><少しでも前進しようと狙っている。彼は決して溺れない>。

 野球記者になって36年になる。うち、長く身を置く大阪のスポーツ紙で阪神の扱いは5割増し、いや2倍3倍である。読者の興味や人気の度合いに比しているのだと一度は納得してみるが、自問自答はやまない。自戒も込めて書いている。

 さらにタニマチと呼ばれる人びとからのお誘いもある。特に阪神では昔から多い。ひいきの引き倒しの手合いもあろう。選手たちは己を見失わないでいられるだろうか。

 高倉は丸山の文を<勇気づけ励ましてくれた>と受けとめた。また、さらに、数々の称賛された記事にも目を通しコピーをとって保管していた。読み返し<背筋がピンとなる>と受けとめ<一生懸命、自分の心に鞭(むち)を打っている>。たたえられた分ほど気合を入れるのだそうだ。これがプロ、スターの心構えである。=敬称略=(編集委員)

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2021年2月16日のニュース