【広島・堂林インタビュー(下)】「入団3年目は無我夢中。毎日必死で、寝たと思ったらすぐ次の日」

[ 2021年2月16日 06:01 ]

2012年に、手とり足とりで野村監督(左)から直接指導される堂林

 野村 僕が監督を務めていた時(12年)に全144試合に出場した。紆余(うよ)曲折、試行錯誤を経て(11年目の)昨季、キャリアハイの成績をマークした。

 堂林 入団3年目に全試合に出させてもらった時は無我夢中でした。毎日が必死で、寝たと思ったらすぐに次の日がくる。1日がとにかく早くて、自分の打撃を全く客観視できていませんでした。

 野村 うん。

 堂林 その点、去年は、たとえ結果がダメでも内容はあったな…とか、反省しながら1打席1打席で区切ることができるようになってきたので、ちょっとは力が付いてきたのかな…と思います。

 野村 当時は1日が早かった…と初めて聞いた。振り返れば、考えることが多くて、辛い思いをさせたのかな…と思う。ただ、僕が一番感心するのは、これから堂林が後輩たちに伝えてほしいことでもあるんだけど、あきらめずに自分のやるべきことをしっかりやっていたということ。だからこそ、昨季の成績があると思う。

 堂林 はい。

 野村 去年で言えば、最初の2試合だよね。開幕戦は4打数無安打だったけど、翌日は4本のヒットを打った。これまでの努力は間違いじゃなかったと確信できたと思うし、見る人は見ていてくれるという表現をしたけど、佐々岡監督もそうだろうし、野球の神さまが“今日は打たせてあげるよ。今年は頑張りなさい”と言ってくれたんじゃないかな。

 堂林 そうですね。

 野村 ま、それはともかく、このキャンプはチーム全体の雰囲気がちょっと違うね。

 堂林 それはありますね。河田さんが(ヘッドコーチとして)復帰されたのが大きいと思います。いい時は褒めてもらえますし、悪いプレーをした時は主力や若手に関係なくピシッと言われるので、緊張感というか、ピリピリ感があります。僕自身もそうですが、引き締まった練習ができていると思います。

 野村 この前はビックリした。無観客だからなんだけど、紅白戦(12日)で堂林の声が聞こえてね。(田中)広輔が“堂林もマウンドに行って(投手に)声をかけるようになってきました”と言っていたけど、ああいう声がサードから出てくるとね。レギュラーは確定でないとしても、責任を負う年齢や立場になってきたと思うので頑張ってほしいね。

 堂林 そこは去年、ある程度頑張れたというのがありますし、野村さんが監督を務められた時にすごく言われたことでもありますから。声にはスランプがありませんし、ワーワー言うのは簡単ですけど、ただ出すのではなく、広輔さんと確認の声を出すようには意識しています。

 野村 野球を見ているから、試合を見ているから、出せる声があるよね。例えばベンチが暗く沈んでいる時に“さぁ、いこう”と言うのと、“お通夜じゃないんだから、さぁ、元気出して楽しくいこうぜ”と言うのとでは全然違う。そういう言葉をかけられるようになれば。これは自分への自信。声の出し方一つで、後輩は頼もしいと感じるだろうしね。頑張って。ケガがないよう祈っています。

 堂林 ありがとうございます。精いっぱい頑張ります。

 ▽野村監督時代の堂林 野村氏は2010年から5シーズンで広島の監督を務め、09年ドラフト2位で入団した堂林は“1期生”になる。1年目は2軍で打率.207、7本塁打、32打点、2年目も2軍で打率.208、1本塁打、23打点。実績がない中、迎えた3年目の12年に中日との開幕戦で「7番・三塁」に抜擢されて1軍デビューを果たすと、全試合出場でチーム最多の14本塁打を放ってブレークした。いずれもリーグ最多150三振、29失策を記録しながら、我慢強く起用。翌13年から、野村氏が現役時代に付けて05年の引退後は準永久欠番扱いとなっていた背番号「7」を引き継いだ。

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