黄色い帽子は弱い!? 呪いの都市伝説を検証した猛虎党 手製のデザインカレンダー、今年も完成

[ 2020年12月21日 08:00 ]

阪神の帽子による試合ごとの勝敗を集計した大森正樹さん作製のカレンダー(部分)

 【内田雅也の広角追球】帽子のツバが黄色の時は弱い!? 一部阪神ファンの間でささやかれ、広まっている都市伝説だ。

 確かに、黄色いツバの時はあまり成績が良くなかった印象がある。

 1978(昭和53)年、後藤次男監督の下、球団創設以来初めての最下位に沈んだ時がそうだった。

 1982(昭和57)年、当時の小津正次郎球団社長が「昔の白と黒に戻す」とユニホームから黄色をなくした際、安藤統男監督は帽子について「くちばしの黄色いトラ、とよくからかわれていた」と話していたそうだ。先輩記者が語っていた。当時はシーズン途中まで優勝を争ったこともあるが、必ず最後には負けていた。

 2007年に再び黄色いツバにすると、また優勝を争っては敗れる勝負弱さがついて回った。

 そして何より、優勝した1985(昭和60)、2003、2005年の帽子は白黒2色か、黒1色だった。

 ファンは「黄色いツバはあかんのか」と感じるのも当然かもしれない。阪神ファンの漫才コンビ・ますだおかだの増田英彦さんがテレビで語ったりもしていた。「黄色帽の呪い」とも言うべき都市伝説は広まっていった。

 「わたしもそう思ったりしていました」と言う芦屋市に住む阪神ファンの会社員(鉄道設計技士)、大森正樹さん(53)は「じゃあ、調べてみよう」と思い立った。そして、球団初年度の1936(昭和11)年から今年までの全公式戦(レギュラーシーズン)1万761試合――ちなみに成績は5379勝5057敗325分け=勝率・515――の帽子別勝敗を調べ上げた。

 相当な労力だが、全試合勝敗はすでに保存データとして持っており、大森さんは「そんなに時間はかかりませんでしたよ」と涼しい顔で言う。

 もともと黒と黄の黒黄(こっこう)は阪神のチームカラー。ただ、歴史的に見れば、帽子のツバを初めて黄色にしたのは1974(昭和49)年だった。

 プロ野球意匠学研究家、綱島理友氏(66)が阪神球団の公式ウェブサイトに寄せている『ユニフォーム物語』によると、1970年代に伸縮性があり、派手な色づけも可能なスポーツウエアの素材、ダブルニットが普及。新素材の登場でユニホームのカラフル化が進み、ユニホームはラインや帽子のツバに黄色が採用された、とある。

 その後は先の小津社長時代に黄色をなくし、白黒ツートンに戻した。2007年に再びホーム用帽子のツバが黄色になり11年まで続いた。そして2018年から再びホーム用帽子のツバが黄色で現在まで続いている。

 まとめると、帽子のツバが黄色だったのは次の期間となる。

 ▽1974―81年(ホーム、ビジター)
 ▽2007―11年(ホーム)
 ▽2018―2020年(ホーム)

 さて、集計結果はどうだったか。

 ▽黄色いツバあり 1807試合876勝831敗100分け、勝率・513
 ▽黄色いツバなし 8954試合4503勝4226敗225分け 勝率・516

 勝率でわずかに下回るがまずまずの成績ではないか。

 これを黄色いツバが登場した1974年以降に限ると「黄色いツバあり」は前記の通り、勝率・513。「黄色いツバなし」は4566試合2099勝2357敗110分けで勝率・471。何と黄色いツバ帽子の方が好成績だった。

 大森さんは「黄色いツバは弱い」の都市伝説について「そんなことはなかったですね」と言い、「やはり、負け続けた暗黒時代の不成績は相当に大きい」と分析している。1987(昭和62)年から1990年代の最下位常連だった当時、帽子は黄色がなく白黒2色だった。

 大森さんは2006年から毎年、テーマを変えて阪神カレンダーを製作している。非売品で、友人などに配っている。来年の2021年度版カレンダーには、この阪神歴代全試合の帽子別勝敗が記されている。裏面は企画ユニホームを含めた阪神の歴代すべての帽子をちりばめてトラマークを描いたポスターになっている。(編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 1963(昭和38)年2月、和歌山市生まれ。阪神関係者を通じて知り合った大森正樹さんはデザイン研究家。トラファンで映画『男はつらいよ』の寅さんファンでもある。昨年、寅さんを題材にしたアート作品を競う「男はつらいよファンアートコンテスト」に応募し、最優秀賞を受賞。第1作から年代ごとに色を変え、一筆書きで寅さんの顔をかたどった路線図だ。作品は京成電鉄柴又駅に掲示された。1年たった今秋、SNSで話題となり、驚いていた。

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