【藤川球児物語(38)】2球で強打者封じ 最高のメジャーデビュー

[ 2020年12月21日 10:00 ]

カブス時代の藤川球児投手
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 藤川球児は新たな挑戦の場にシカゴ・カブスを選んだ。オプション、出来高も含めて3年総額2100万ドルの大型契約。地元紙も「手薄だった救援陣強化に成功した」とトップニュースで報じた。

 阪神と同じ伝統ある球団でユニホームも親しんだタテジマ。背番号は尊敬する斎藤雅樹(元巨人)にあやかり「11」に決まった。12年12月7日にシカゴで入団会見に臨んだ藤川は「球団の熱意をすごく感じた。チームを立て直すのに必要だと言われた。チームにフィットする場所で投げたい」と目を輝かせた。同13日には日本でも会見し「これから阪神ファンがどれだけ偉大でまた心強く、圧倒的な数の多さで応援してもらっていたかを感じることになる。その中で成績を残した誇りを持ってプレーしていきたい」と決意を語った。

 13年2月、アリゾナでのキャンプでメジャーリーガーとしての日々が始まった。「何をやっていても楽しい。やりたいこともたくさんできる。一つ一つが新しい一歩」。仲間から「QJ」のニックネームで呼ばれるのも新鮮だった。肉体も改造した。メジャーで生き抜くために体重を10キロ増やし、筋力強化のトレーニングにも取り組んだ。「自分が若くなった感じがする」と32歳でのチャレンジに意欲を見せていた。

 メジャーデビューは4月1日、敵地でのパイレーツ戦だった。2点リードの9回2死一、二塁で登板。打席には前年21本塁打したラッセル・マーティンがいた。初球カットボールでストライクを取ると、2球目の内角ツーシームで中飛に打ち取った。メジャーでは47年ぶりとなる初登板初セーブ。「2球とも日本では投げていなかった球。それだけ違う野球をするということです」。阪神時代には見せなかった派手なガッツポーズも披露した。

 これ以上ない形でのデビュー。だが、このとき既に暗い影が藤川に忍び寄っていた。「心配なんだ」と不安を口にしていたのは評論家となった、かつての同僚、金本知憲だった。  =敬称略=

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