【阪神新人連載】村上 小学校には球児の下敷き 大好きな阪神がプロ目指すきっかけに

[ 2020年12月21日 11:00 ]

牙を研ぐルーキー2020 5位・村上頌樹投手(上)

小学校6年時、村上(右から2人目)と肩を組む阪神・平田2軍監督(右)(家族提供)
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 物心ついた時から頌樹は生粋の阪神ファンだった。兵庫県南あわじ市出身で、両親と6歳上の兄も虎党だったことから自然と阪神を応援するようになっていた。勝利した翌日は自らタテジマのユニホームを着て保育所に通うまでになっていた。

 「ずっと応援していました。子どもの頃は毎日、阪神戦のテレビ中継を見るのが楽しみでした」

 兄が野球をやっていたことから興味を持ち、小学1年から兄が所属していた賀集少年野球クラブに入団。週2日の練習日以外の平日は学校から帰宅するとナイターの試合開始から野球中継にくぎ付けになり声援を送った。当時はファンクラブにも入会しており、特典の限定ユニホームを着て年に1、2度は家族で甲子園生観戦するなど“野球漬け”の日々だった。

 選手では藤川球児のファンだった。150キロを超える火の玉ストレートに魅了されたといい、毎試合、登板を楽しみに見ていた。自身の試合では藤川を意識し直球主体の投球。授業では藤川の下敷きを使うなど心酔していた。

 猛虎への熱意が通じたのか、5、6年時には淡路・徳島交流少年野球大会の野球教室で阪神の選手から直接指導を受ける機会に恵まれた。平田勝男2軍監督をはじめ赤星憲広(現本紙評論家)や福原忍(現投手コーチ)らからアドバイスを受けると喜びは最高潮に達した。当時のことを母・良子さん(50)も懐かしそうに振り返る。「息子も喜んでましたけど、私たちもうれしかったです。藤田太陽さんにも投げ方を教わったり平田(2軍)監督に肩を抱えられて写真撮ったりと、いい経験になりました」。家族ともども阪神愛は深まるばかりだった。

 「将来はプロ野球選手になりたい」。阪神がきっかけで頌樹はプロ野球選手を志し、高いレベルを望むようになった。中学時代はアイランドホークスのエースとしてジャイアンツカップに出場するなど注目を集め、高校は奈良の智弁学園に進学。親元を離れる選択をしたことが大きな転機となった。 (長谷川 凡記)

 ◆村上 頌樹(むらかみ・しょうき)1998年(平10)6月25日生まれ、兵庫県南あわじ市出身の22歳。小1から賀集少年野球クラブで野球を始める。南淡中ではアイランドホークスに所属。智弁学園では1年夏からベンチ入りし甲子園に3度出場。3年春の選抜ではエースとして優勝。東洋大では1年春からリーグ戦に出場し通算12勝。1メートル74、75キロ。右投げ左打ち。

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