【藤川球児物語(4)】頼れる兄の存在が理想のバッテリー像を生んだ

[ 2020年11月16日 10:00 ]

6歳の頃、保育園でお絵かきをする藤川球児

 今年9月1日の引退会見で、藤川球児が自分の名前が取り持つ縁について触れた。

 「名前も藤川球児ですからね。この人生しかなかったと思う。他のたくさんの選手に失礼かもしれない。みんなも同じように思っているだろうけど、自分が一番タイガースに似合っていると思います」

 1980年(昭55)7月21日、藤川はこの世に生を受けた。2700グラムの藤川家の次男。「球児」と名付けたのは父・昭一だった。

 父も高知商出身で野球部に在籍したこともある根っからの野球好きだった。藤川が生まれる前日のことだった。参加した草野球で先発した昭一はノーヒット・ノーランを記録した。うれしくないはずがない。「名前は球児に決めた」と宣言した。

 母・文子も懐かしそうに当時を振り返った。「名前は父親の独断でしたね。初め聞いた時は、冗談やろ、と思いました。だって漫才師みたいでしょ」。「野球をやるかどうか分からないから」と母は最初は反対したが、父は一歩も引かなかった。「野球だけでなく、強い子になってほしい。将来大きなことをやる人間になってほしい」との思いもあると説得した。父の思いがこめられた名前が、人生を大きく動かしていくことになる。

 兄・順一、そして2人の妹との4人きょうだい。母も働くなど家計は決して楽ではなかったが、常に明るさがあった。両親から受けた愛情が藤川を育てていった。

 1歳年上の順一も、弟を大事にした。小学校低学年のある日、2人で近くの川で舟に乗って遊んでいたときだ。藤川が誤って川に転落した。兄は必死に助けだした。「たいして体格の変わらない順一が、よく一人で引っ張り上げられたなと今でも不思議に思いますね」と母・文子もエピソードを明かした。

 頼りになる兄の存在。これが藤川の理想のバッテリー像になっていく。

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2020年11月16日のニュース