【内田雅也の追球】「ダイナマイト」の心 逆転勝利の阪神に宿る「野球ができる喜び」

[ 2020年7月17日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神6-4ヤクルト ( 2020年7月16日    甲子園 )

<神・ヤ(6)> お立ち台でガッツポーズの福留とサンズ(撮影・大森 寛明)
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 阪神強力打線の代名詞「ダイナマイト打線」誕生の日だった。

 戦後、プロ野球再開となった1946(昭和21)年7月16日の第16節終了時、打撃10傑に阪神の打者が実に7人も名を連ねていた。

 ▽1位・渡辺誠太郎
 ▽2位・藤村富美男
 ▽4位・金田正泰
 ▽5位・冨樫淳
 ▽6位・土井垣武
 ▽8位・本堂保次
 ▽9位・長谷川善三

 当時は1リーグ・8球団だった。この猛打ぶりを野球記者(東京・日刊スポーツ)・高山方明が「ダイナマイト打線」と称したのだった。

 今と比べるのは、むなしいことだ。10傑も3割打者も、この日規定打席に達した梅野隆太郎だけだ。3割を切ったジャスティン・ボーアは16位に落ちている。

 ただし、あの終戦後の猛虎たちと共通していることがある。心である。

 戦後、タイガースは選手不足に悩んでいた。監督・若林忠志は夫人の故郷(宮城県石巻)に疎開し、帰っていなかった。藤村が選手兼任で代理監督に就いた。戦地から復員していない者も多く、46年の開幕前は9人ぽっきり、開幕時は12人でスタートしていた。

 それでも選手たちは平和で「野球がやれる」というだけで相当な喜びだった。藤村は終戦直後、広島・呉の実家に帰ると進駐軍の雑役で人間魚雷「回天」の解体作業を行っていた。日本野球連盟関西支局長・小島善平から「スグカエレ」と電報が届いた。11月に東西対抗を行うとの連絡で「また野球がやれる」と喜びで体が震えたという。

 今季も新型コロナウイルス感染の影響で開幕は3カ月延期となった。長い活動自粛期間があり、選手たちは「野球ができる喜び」を口にした。

 開幕当日の6月19日、遠征先・東京のホテルで行われた出陣式で、主将の糸原健斗は「まずは野球ができる喜びに感謝して、楽しんで野球をやりましょう」と決意を口にしていた。「どんなに苦しい時が来ても前を向いて、戦い抜きましょう」

 この夜は言葉通りの勝利だったと言えるだろう。5、6、7回の苦しいピンチを課題の救援陣、小川一平、能見篤史が無失点でしのぎ、8回も岩崎優が最少失点でとどめて踏ん張った。

 この頑張りに応える形で、8回裏の逆転はあった。ジェリー・サンズが同点ソロ、福留孝介が決勝2ラン。サンズは開幕2軍、福留はスタメンから外れる悔しい思いもあったろう。試合に出られるという喜びも力になっている。

 また、一発の威力をあらためて知った。昨季143試合で94本(リーグ5位)だったチーム本塁打が、今季は21試合で23本と巨人に次ぐ数字を残している。単純計算で120試合制の今季、131本となる。広い甲子園球場を本拠地とする阪神としては相当なペースである。

 お立ち台で福留が「ファンの皆さんの目の前で野球ができる」、会見で監督・矢野燿大が「叫びたいくらいうれしい」と話していた。

 その心は、間違いなく「ダイナマイト打線」の先人たちと同じ「喜び」の力である。=敬称略=(編集委員)

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2020年7月17日のニュース