村山実が“魔球”を投げた日 通算6度目の開幕投手で唯一の完封劇「100点でしょう」

[ 2020年4月10日 05:30 ]

開幕よ、来い――猛虎のシーズン初戦を振り返る

1964年3月21日、力投する阪神先発の村山
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 【1964年3月21日 甲子園 阪神1―0広島】雨天中止で一日ズレた開幕マウンドに村山実が上がった。前日の雨はきれいにあがり、甲子園上空は晴れ、3月の風はまだ少し冷たかった。体調は決して良くなかったという。

 「オープン戦でひいたカゼがなおらず、昨夜も38度の熱があった。だから、監督(藤本定義)に投げられないかもしれませんと電話をしたくらい。試合前も7度5分あったが、監督に“いけ”と言われて、ヨシとばかりに飛び出したんだ」

 直前のブルペンでは21分間も使って思い切り投げて準備した。「立ち上がり、かたくなった。どうも甲子園で投げるといかん」。かえって慎重さを生み、序盤3回を無安打に封じた。

 4回無死一塁では伝家の宝刀フォークで連続三振。唯一の窮地と言えた5回1死一、三塁も後続を断って切り抜け、以降は三塁を踏ませなかった。5回に吉田義男が左翼ポール際へソロ。虎の子の1点を116球で守り抜いた。散発4安打に抑えて完封。開幕投手は60年に続いて2度目、66~68年を合わせて通算6度務めた中で唯一になる完封劇だった。

 この試合で村山は“魔球”を使った…と翌22日付のスポニチ本紙にある。見出しにも「魔球で完封」の文字が躍った。

 前年63年は右手指の血行障害や右肩痛などに苦しんで11勝(10敗)。61年24勝(13敗)、62年25勝(14敗)の連続20勝が途切れたこともあって、春のキャンプでは新たに投手コーチに就任した“フォークの神様”こと杉下茂と新球を考案し、習得した。「これで2つ球質の違った落ちる球が投げられるようになった。新しい球はカウントを取るために投げ、勝負球にフォークを使った」。フォークの改良型とみられる新球を効果的に混ぜ、敵将・白石勝巳を「あれだけ落ちる球を投げられてはかなわん」と脱帽させた。

 この64年から再び22勝(18敗)、25勝(13敗)、24勝(9敗)と3年連続で大台を突破。復活の第一歩を「シャットアウトしたのだから、100点でしょう」と笑い、最後まで鼻声だったという。=敬称略= 

 ▽1964年の世相 日本人の海外観光渡航自由化(4月)、巨人・王貞治がシーズン55本塁打でプロ野球記録更新(9月)、東海道新幹線開業(10月)、東京オリンピック開催(10月)、シンザンが菊花賞を制して史上2頭目、戦後初の三冠馬に(11月)【流行語】「ウルトラC」「おれについてこい!」

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